トルコ語に苦戦している。
ということで、前回は
「英語とドイツ語」
「フランス語とスペイン語」
のような言語的姻戚関係がないため、土語単語がおぼえられないという話をした。
トルコ語と日本語は語順が同じなど、なにかと共通点が多いはずだが、早くも暗礁に乗り上げてしまい無念である。
そこに、さらなる難敵がおそいかかってきて、ますますパニックになるのは、まさにその「語順」。
というと、おいおいさっきはトルコ語と日本語とは語順が同じだから学びやすいと言っていたではないか。
そうつっこまれそうだが、そこが逆に罠なのだ。
たしかにトルコ語は日本語と似ていて、たとえば「私は水を飲む」だと、
Ben su içiyorum.
Benは「私」で、suは「水」。
içiyorumは「飲む」だから、「私は水を飲む」で日本語と同じ並び。
英語だと「I drink water」で「私は飲む、水を」とひっくり返るから、そりゃどう見たってトルコ語の方が自然なのだ。
ところがどっこい、日本人は哀しいかな、なぜか第一外国語が強制的に英語である。
なので「外国語学習」というと、どうしても「英語」がベースになってしまい、このせいで逆に
「外国語が日本語と同じ語順」
この本来なら親切設計なはずの文法が、むしろ違和感を感じるというパラドックスが生じるのだ。
つまり、フラットな目で見れば、
「私は水を飲む」
↓
「Ben su içiyorum.」
↓
「同じやん!」
となるのだが、これが、
「私は水を飲む」
↓
「I drink water」
↓
「Ben su içiyorum.」
↓
「あれ? 英語と語順が違う。なんか変!」
という「ねじれ現象」を引き起こしてしまうのだ。
ましてや私は大学受験で英語をやり、大学ではドイツ語を専攻し、今ではフランス語とスペイン語をやるという「インド・ヨーロッパ語族」野郎なので、ますますそこに拍車がかかる。
そう、私はここまでフランス語とスペイン語はわりとスムーズに勉強できたのだが、それは英語やドイツ語の知識が、同じヨーロッパ系言語として、そこそこ役に立っていたせいなのだ。
スポーツで言えば、サッカーやってたヤツがラグビーとか。
バスケやっててハンドボールとか、クリケットから野球とか。
そういった
「経験はないけど、前にやったことが生きる」
というジャンルで戦っていたから、そんなにストレスがなかった。
ましてや、スペイン語とポルトガル語なんて「硬式テニスと軟式テニス」くらいの差だしなあ。
そこをドーンと
「棒高跳び出身者がチェスボクシング」
みたいな異郷の地に連れていかれた感覚。
そのせいで、見た目以上に、とっつきが悪くなってしまっているのだ。
ただこれは、私がそうなだけで、逆に言えばヨーロッパ系言語にとらわれない柔軟な人には、案外そんなことないのかもしれない。
実際、やってみた感覚ではトルコ語と日本語は近いところもあるし、少なくとも言語距離が相当離れている英語よりは、客観的に見ればかなり接しやすいのは確か。
なんで、むしろ
「英語は苦手だったなあ」
「ドイツ語とかフランス語、第二外国語でやったけど全然おぼえてないや」
という「偏見」のないピュアな状態の方にとっては、トルコ語はものすごくオススメの言語なのかもしれません。