「歴代名人」なで斬り▲52銀 羽生善治vs加藤一二三&西川慶二 1989年 NHK杯 1991年 B級2組順位戦 村山聖vs森雞二 1997年 B級1組順位戦

2024年09月19日 | 将棋・好手 妙手

 「なんで、こんなメンドイことしてるんや!」

 

 パソコンの前で思わず声を上げたのは、不肖このであった。

 このところ数回、「詰むや詰まざるや」な将棋の終盤戦を紹介してみた。

 私はここで将棋のことを書くとき、ネタ探しみたいなことはせず、風呂の中や散歩中に

 

 「あー、なんかあんな将棋あったなー」

 

 唐突に思い出したり、またのタイトル戦など観戦中に

 

 「お、これなんか、昔に似たような形あったよな」

 

 なんてアンテナが反応したりと、行き当たりばったりな感じで書いている。

 なので、連想が連想を呼んで、こないだは「終盤の難解詰み」をリンクしていったら、もうこれが、すんげえ大変で。

 


 まずは、谷川浩司vs南芳一戦、超絶技巧の「限定合」。 

 続いて、久保利明vs羽生善治の、これまた「限定合」がからんだ「トリプルルッツ」。

 さらに加えて、「伝説の三段」こと立石径さんによる藤井聡太七冠クラスのウルトラ実戦詰将棋


 

 ネタ的に書いていて楽しかったけど、そのあまりの高度な手順に「検算」するのが大変。

 もちろんソフトにも頼ってますが、それでも気になる変化を全部つぶしていると、頭がおかしくなってくる。

 似たような局面が多いので、本当にこんがらがるのだ。

 もう、こんな生活イヤ

 ダメ男に尽くしてきた健気な女のごとく叫び声をあげた私は、もう検算のない世界へ行きたいと「一撃」な将棋を思い出してみることにした。

 私と同じく「実戦詰将棋」で頭がウニになった皆さまも、「一目でわかる」ホームランで、心をいやされてくだいませ。

 


 1989年NHK杯準々決勝。

 羽生善治五段加藤一二三九段の一戦。

 角換わり棒銀から激しい攻め合いとなって、この局面。

 

 

 

 次の手が有名すぎるほど有名な一打で、先手の勝ちが決まる。

 

 

 

 

 ▲52銀が見事な一撃。

 △同金▲14角△42玉▲41金で詰みだが、後手は受けがない。

 △42玉と逃げるも、▲61銀不成で左辺に逃げこめず勝負あり。

 私も当時リアルタイムでテレビ観戦しており、むずかしそうなところから一瞬で終わって「あらー」とビックリした記憶がある。

 
 「羽生くん(当時はまだそう呼んでいた)って、やっぱすごいんやなー」 
 
 
 子供ながらに感じたもので、その通り、この期の羽生はトーナメントで大山康晴加藤一二三谷川浩司中原誠という「歴代名人」を次々と破って優勝
 
 その強さとともに、「こういうドローを引き当てるスター性」でも話題になった。

 ここから私は、30年以上にわたって彼の将棋を追いかけることになるのだ。

 


 

 続いても羽生の将棋。
 
 1991年B級2組順位戦
 
 西川慶二六段との一戦は、羽生が先手で「中原流」の相掛かりに。
 
 


 
 
 


 図は西川が△82飛と引いたところ。
 
 私レベルだとここは▲85歩と打って、▲86飛から▲84歩と伸ばす。
 
 △83歩と受けさせれば満足だし、▲96歩▲95歩と伸ばして、▲94歩△同歩▲92歩△同香▲91角をねらう。

 それくらいが、ふつうだと思うが、羽生の発想はそのはるかを行っていた。
 
 次の手で将棋はお終いである。


 
 
 
 


 
 ▲71角升田幸三流に言えば「オワ」。
 
 △72飛には▲86飛とまわって、△71飛▲82飛成飛車金両取り。


 

 


 
 
 △62角とむりくり受けても、▲84歩とタラすくらいで、駒を全部取られて負かされるだけ。
 
 △83飛とでも逃げるしかないが、▲84歩△同飛▲85歩△83飛▲86飛


 
 
 
 


 

 これでもう、どうやっても後手の飛車は助からない。

 △95角▲96飛△94歩▲95飛△同歩▲72角まで、解説も必要ない明快な手順で羽生勝ち。

 

 


 

 トリをつとめるのは羽生のライバルであった村山聖九段の将棋。

 1997年の第56期B級1組順位戦の4回戦。森雞二九段との一戦。

 

 

 図は先手の森が、▲44飛を取ったところ。

 後手の穴熊は手数を伸ばすような受けが見当たらず、一方の先手玉は△36桂と王手しても▲17玉でつかまらない。

 森は勝利を確信していたろうが、ここからわずか3手投了に追いこまれる。

 

 

 

 

 

 △17角がまさに必殺の一撃。

 ▲同香△36桂

 ▲同玉△16香から、やはり△36桂で詰み。

 本譜の▲18玉にも、△16香と打って必至

 

 

 このときの村山は、前期A級から陥落

 しかも持病の悪化により、まともに将棋を指せる状態でないと医者から宣告されるという、非常にきびしい状態であった。

 本来なら休場して回復にあてるべきなのだが、それを拒んだ村山は、8時間以上におよぶ大手術に耐え復帰。

 再起にかけるB級1組順位戦でも、伝説的ともいえる丸山忠久七段との死闘こそ敗れたものの、その後も白星を重ねて見事1期での復帰を果たす。

 それにしても、あざやかな決め手。

 書いているだけで、さわやかな気分になれるし、なによりなーんも検討とかしなくていいのがすばらしい!

 

コメント
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