ドラマ『バビロン・ベルリン』がメチャおもしろい。
私は学生時代、ドイツ語とドイツ文学を専攻していたため、今でもドイツの小説や映画が日本で紹介されると、とりあえずチェックする習慣がある。
正直なところ、ドイツものはこちらではマイナーなので、ほとんど話題にあがることはないが、一時期の「ドイツ・ミステリ」ブームなど、なかなかの実力を発揮することもある。
『バビロン・ベルリン』は、まさにその「アタリ」な作品であり、ドイツ本国でも大ヒットしたそうだが、それも納得な仕上がりとなっているのだ。
原作は、ドイツ・ミステリブームの中、ドイツ語翻訳ではおなじみの酒寄洋一さんによって紹介された、フォルカー・クッチャー「刑事ラート」シリーズ。
こちらでは創元推理文庫から『濡れた魚』『死者の声なき声』『ゴールドステイン』の3つが紹介されている。
といっても、このシリーズの評価は微妙で、駄作と言うわけではないが、人気や売り上げほどよくできているかと言われると、ちょっと首をかしげるところも、なくはない。
それは主人公であるゲレオン・ラートがいまひとつ魅力に欠けるというか、あまり感情移入できるようなキャラでないから。
金や出世にこだわるところなど妙に俗物的で、人を殺しても良心の呵責もないとか、「ん?」「それ、どうなの?」みたいな。
いや、もちろんそういった「欠点」が魅力になるケースも多々ある。
北欧ミステリブームのエースだったヘニング・マンケルの「刑事ヴァランダー」シリーズなんかは、むしろそのショボさが「萌え」につながっているほどだ。
実際、ネットのレビューなどでも、同様の指摘をする人が多く、作者のインタビューではそこをあえて、「ねらってやってる」とおっしゃってたが、伝わってないこともあるようなのだ。
『ゴールドステイン』はNSDAP(「ナチス」の正式名称)が台頭してきた時期だから、その「悪役」ぶりとの対照で、多少なりともゲレオンに「ヒーロー」的要素が浮き出るけど(テコ入れが入ったのかもしれない)、その前2作に関しては、
「おもしろいんだけど、なんだかしっくりこない」
というモヤモヤ感が残ってしまうのは、いなめないところで、やはりそれは主人公の魅力に起因すると思われるわけだ。
なんて、ちょっとイヤごとめいたことを書いてしまったが、ではなぜにて、そんな微妙とか言っちゃう作品を推すのかと問うならば、それはもう時代設定が秀逸だから。
歴史もの好きには、
「この時代をあつかったものはマスト」
という時代背景と言うのがあって、ミステリ好きなら「ヴィクトリア朝ロンドン」。
ドラマチックさなら革命時代のフランスに、ローマ帝国から、コンスタンティノポリス陥落、ゲームファンなら三国志とか戦国時代。
美術ならルネサンス期のイタリア、哲学なら古代ギリシャ、愛国ムードが高まれば『坂の上の雲』のころなどなどあるが、私の場合は、
「第一次大戦終結から、ナチ台頭を経ての敗戦」
このころのドイツと言うことになる。
まさにこの「刑事ラート」をベースにした『バビロン・ベルリン』は、そこにドンピシャ当てはまるというわけなのだ。
なにを隠そう、当ページの看板である
「カフェ・グレーセンヴァーン(誇大妄想狂)」
こそが、20世紀初頭のベルリン、目抜き通りのクアフュルステンダムにあった、芸術家カフェの名前から取っているのだから。
つまるところ、このシリーズの主役は「ゲレオン・ラートもの」と謳っているけど、実のところ「ベルリン」の街そのものということなのだ。
もちろん、ストーリーも良い。
ロシア皇帝の金塊をめぐるかけひきや、映画女優をねらった殺人鬼に、マフィアとの対決。
共産党の止まらぬ勢い、極右勢力の暴走、ナチの卑劣な計略、爆発寸前の市場経済……。
などなど、とにかくネタには困らないのが、このころのドイツ。
そこに、
「ソ連で極秘に行われていた再軍備計画」
といった歴史的事実をからめて提示されたら、私のようなドイツ史ファンは、コロッといかれます。
もちろん、その辺のことはあいまいでも、ミステリ的要素だけでも楽しいし、当時のベルリンで見られた、独特すぎる文化を堪能するもよし。
そんな多角的な楽しみ方のできるこのドラマは、とってもオススメなのです。
(続く)