前回に続いて、ドイツのドラマ『バビロン・ベルリン』が、めたくそにおもしろいという話。
時は「ワイマール共和国」(ドイツ語読みだと「ヴァイマル」)が、あったころのドイツ。
「世界一民主的」といわれたワイマール憲法を引っ提げて、その「自由さ」を売りにした新制ドイツだったが、その基盤は非常に危ういものがあった。
多額の賠償金や、それにまつわるインフレによって生活は安定せず、敗戦に納得の行ってない皇帝派に、社会民主主義者、それにまだ泡沫候補に過ぎなかったNSDAP(ナチスの正式名称)と共産党が暗躍する。
その不穏な一方で、1920年代後半のベルリンといえば、ドイツ文化史的にはメチャクチャにホットな時代であった。
第一次世界大戦敗北の混乱から、やや立ち直り、民主主義政権の中、つかの間の平和を甘受するそのころ。
魔都ベルリンは世界一の文化レベルを誇り、各地から才能が集結し、芸術の分野で花開いた。
「黄金の20年代」と呼ばれるそれは、われわれの知ってる名前だけでも、演劇ならマックス・ラインハルトにベルトルト・ブレヒト。
映画なら『カリガリ博士』に、フリッツ・ラングの『メトロポリス』。
マレーネ・ディートリヒが、映画デビュー前、舞台で活躍していたのもこのころ。
文学なら、トーマスとハインリヒのマン兄弟、ジャーナリストでは池内紀先生が、よく取り上げるカール・クラウス。
のち、ナチスへの抵抗作家になるエーリヒ・ケストナー。
他にも、ジャンルと順不同でヴァルター・ベンヤミン、ハンナ・アーレント、エーリヒ・フロムなどなど、名前をあげるだけでもすごすぎるメンツが、それぞれの力を思う存分に発揮。
同性愛への寛容をはじめ、性的にもフリーダムで、ともかくも「なんでもあり」。
もっとも、あまりにも「なんでもあり」過ぎたため、のちにナチスには「退廃芸術」とのレッテルを貼られ弾圧されるが、
「狭量な独裁政権の目の敵にされる」
というレベルのものが、大手を振って歩けた時代と言うのだから、いかに楽しく、また「異様」だったかわかろうというものだ。
なんたって、原作の1巻にあたる『濡れた魚』のオープニングで風紀課に勤務する刑事ゲレオンが、まず取り締まるのが、
「皇帝ヴィルヘルム2世をネタにしたポルノ写真」
これの押収だというのだから、なんともゆかいである。
しかも、ケルンからわざわざベルリンに転勤を申し出たゲレオンの真の任務とは、
「コンラート・アデナウアーが、ウッカリ残してしまったSMエロ写真を回収すること」
うーん、「退廃」してますなあ。
万事がこの調子と言うか、そこがすこぶるおもしろい。
ストーリーを追っても、この時代イケイケだった共産党にNSDAPだけでなく、革命で追い出された白系ロシア人たちや、同じ「アカ」でもスターリン打倒を目指す「トロツキスト」とか。
アヤシイ「アルメニア人」に、スパイに、ワケありな「男装の令嬢」。
ゲレオンは戦争PTSDでヤク中なうえ、兄貴の嫁と不倫まっただ中。
ヒロインのシャルロッテは副業で売春婦(原作ではふつうの警察勤務のはずだったけど……)。
クーデターをたくらむ皇帝派の極右に、劣等感こじらせまくったボンクラ大富豪と、まあとにかくどいつもこいつも、一筋縄ではいかない連中ばかり。
それをまとめるのが、さまに「ベルリン」というイカれた街であって、ドラマ版だとその光景が見られるだけでも、まずうれしい。
アレクサンダー広場に、ベルリン警察のあった「赤の砦」。
クラウス・コルドン『ベルリン3部作』でおなじみの、ヴェディング地区(その貧しさが絶望的)に、果てはウーファの撮影所まで見られて、もうお腹いっぱい。
着ているものや食事、女性の髪形に、吸っている煙草の銘柄まで、そういうディテールをチェックするだけでも、いくらでも語ってしまえるわけなのだ。
この時代にあこがれがあった私は、昔にいろいろと調べてみたけど、なんか、とにかく変な時代なんスよ。
それはエンディングテーマにもなっている、キャバレーの曲「灰へ、塵へ (Zu Asche, zu Staub)」を聴くと、一発でわかる。
といっても、日本で想像するキャバレーと違って、飲んで踊ってショーを観る、バーとクラブと劇場を足したようなところ(ドイツ語だと「Kabarette」で「カバレッテ」)で流れるもの。
これが、リズムもテンポもぬめぬめしていて、メチャクチャにアヤシゲなのだ。
絶対売れセンじゃないし、カラオケでも歌いにくいし、昔輸入CD屋めぐって、このころのドイツの音楽の輸入盤見つけたんだけど、とにかく妙ちきりんな歌ばっか。
すんげえ、おかしな気分になったのをおぼえていて、ぜひみなさまにも、それを味わっていただきたいのです。