『名人に香車を引いた男 升田幸三自伝』を読む。
タイトルの由来は、升田が将棋指しを志し、幼少期に、
「名人に香車を引いて勝つ」
定規の裏に書き付けて家を飛び出したという伝説によるもの。
将棋を知らない人には、ちょっと意味がわからないかもしれないが、香車を引くとは勝負の際に盤の隅にある「香車」の駒を無しでプレーすること。
いわばハンディ戦であり、サッカーでいえば一人足りない10人で戦うようなもの。
しかも相手が将棋界最高位である「名人」だというのだから、幼少期の無知ゆえのこととはいえ、なんともスケールがでかいではないか。
さらにすごいのは、升田少年はその後、晴れてプロの将棋指しとなり、本当に時の名人相手に「香車を引いて勝」ってしまったことだ。
そう、それが将棋界の大レジェンド、升田幸三の伝説なのである。
本書はそんな昭和のスーパースター升田が、将棋を始めたころから引退までを語り尽くすというもの。
「ゴミハエ問答」
「高野山の決戦」
「無敵の三冠王時代」
などなど、将棋ファンにはおなじみの事件が、その本人の口から伝えられるのだから、これがおもしろくないわけがない。
升田の口の達者さもあってか、パクパクとページをめくっているうちに一気読み。私の知らない「古き時代の将棋界」にどっぷりと浸かれる一冊であった。
もう全編興味深い逸話だらけで、あれもこれもと引用したくなるが、さりげなくシブい一文にこういうのがあった。
「(四段選抜登竜戦にむけて)身ぶるいするような緊張を覚えたもんです。昭和11年といえばあの二・二六のあった年で、まだ世の中ざわついとったが、こっち頭の中には将棋に勝つことしかなかった」
さりげなく歴史の大事件がからんでくるが、升田にとってはそんなことは、きっとどうでもいいことだった。
それよりも、ただ目の前の敵を倒すのみ。俗世間のことなど、そのへんの無粋な役人か兵隊にでも、やらしときゃいいと。
団鬼六先生もおっしゃっていたが、才能に恵まれ、自分の好きな道で生きていけるということの特権は、金でも地位でも名誉でもない。
このときの升田のように浮き世の俗から、どこまでも自由でいられることなのだ。
つまりは、いつまでも中2病のままで生きることが、ゆるされる。
よく、スポーツ選手なんかがスキャンダルを起こしたときなど、
「せまい世界で生きているから、世間を知らないんだ」
などと嘲笑する人がいるが、よく聞くと彼らの言う「世間」とは「会社」とか「学校」とから。
あとはせいぜいが「地元」「日本」くらいのことだったりする。「オレの経験では」とかね。
なんだか、彼らこそまさに
「世間というせまい世界」
しか知らないのではと、首をかしげたくなる。
自分がそこしか知らないし、出ることもかなわないから、違う場所に生きる人を、ことさら指さしておとしめようと、するんじゃないのかなあ。
どっちにしても「せまい世界」で生きるなら、私は自分で選んだ道を歩く人にあこがれるし、尊敬もするけどね。
ライバルであり弟弟子でもある大山康晴に大きな戦いで敗れることの多かった升田は、よく
「悲運の棋士」
などと呼ばれたが、本人によれば、それはまったくの的はずれであるという。
たしかに「高野山の決戦」の後遺症や健康状態のせいで落とした星は多かったが、それでも三冠王になり、名人に香車を引いて勝つという、途方もない夢を実現させた自分は幸せなのだと。
経済的に苦しい時期もあったが、名人、王将、九段のタイトルを独占したことにより、借金などもすべてきれいにできた。
そう、あとがきで書いているように、
「これで文句を言ったら、バチが当たる」
これのどこが「悲運」なのだろう、というわけだ。
才能に恵まれ、子供のころからの夢を果たし、最後まで自分のやりたいよう天衣無縫に生きた。
「将棋指しになって良かった」
これ以上なくシンプルだが、なんというステキな言葉だろうか。
もちろん升田の魅力はその言動や生き様だけでなく、将棋の内容そのものにもある。
今度の冬休みは、合わせて買ったマイナビ出版の『升田幸三名局集』をじっくりと並べて、その妙技を堪能したい。
(続く→こちら)