フリオ・コルタサル『悪魔の涎・追い求める男』は、読書人生ナンバーワンかというくらいにおもしろい。
コルタサルはアルゼンチンの作家で、一時期あったいわゆる「ラテンアメリカ文学ブーム」の一員。
南米の文学といえば、幻想的というか独特の空気感がある。
まあリアリズムの観点からいえば気ちがいじみているものが多いのだが、この『悪魔の涎・追い求める男』もステキに変な小説ばかり。
「口から子ウサギが飛び出す男」が主人公ということで、イカれた一遍かと思いきや、最後の一行でリアリズムが交錯しギョッとする『パリにいる若い女性に宛てた手紙』。
古びた屋敷に住む兄妹が正体不明のなにかに、徐々に排除されていくホラー風味でありながら実は……な『占拠された屋敷』。
バイク事故による昏睡で見た夢と、先住民の残酷な儀式がまじりあい、どちらが夢でどちらが現実かあいまいになる恐怖(『夜、あおむけにされて』)。
素人写真家が撮った一枚が、突然映画のように動き出し、そこでは悪夢のような恐ろしい出来事が……(『悪魔の涎』)。
こうして並べていくだけでも、その不思議な雰囲気はつかんでいただけると思う。
ポーのようなフレドリック・ブラウンのようなキュビズムの絵画のような。
それでいてロジカルな要素も感じられ、幻想的で象徴的で、文体も格調高く、なんかこういかにも「文学読んでるなあ」という底知れぬ満足感が味わえる。
特に好きなのが『南部高速道路』。
とんでもない渋滞に巻きこまれた人々が、動けないストレスと暑さにうめきながらも、次第に近所の人とコミュニティーを作っていく。
そこにちょっとした「社会」ができていく過程を描いているという、なんとも不思議な一遍。
名前でなく車種で識別し合う人々や、そこで人々が徐々に「リーダー」や「救急係」などを担当するようになり。
果ては「調達屋」なんてのも出現してブラックマーケットで闇取引をはじめたりするんだけど、舞台は刑務所でも戦後の焼け野原でもなく「渋滞」なんである。
なんだか、SFにある
「人類進化のシミュレーションを見ている科学者か宇宙人」
みたいなノリなのだ。閉鎖生態系モノというやつか。野外だけど。
時間の感覚もはっきりしなくて、これが数日のことなのか季節をまたぐ長期間なのかもよくわからない。
「渋滞」も本当の交通事情なのか、それともなにかの「象徴」なのかと首をかしげたくなるが、一応警察や政府など「外の世界」も機能しているようで、ますますなんのこっちゃである。
ドライかつ寂寥感あるオチも、独特の余韻を残す。
他にも演劇を題材に、現実と虚構の被膜のあいまいさを描く『ジョン・ハウエルへの指示』。
現代の不倫カップルと、ローマ時代の剣闘士をめぐる秘めやかな情欲が、火によって同化していく『すべての火は火』などなど、傑作ぞろい。
フリオによると、
「小説を書くというのは、日々浮かび上がる妄念を形にして吐き出す治療みたいなもの」
とのことらしいけど、読むとその感覚はすごく伝わってきます。とにかくナイトメア感バリバリ。
大げさではなく、
クレイグ・ライス『スイートホーム殺人事件』
ガルシア=マルケス『百年の孤独』
沢木耕太郎『深夜特急』
サマセット・モーム『月と六ペンス』
などと並ぶ、読書人生オールタイムベスト候補のひとつ。
絶対損はさせません。超おススメ。