杉元伶一はもっと評価されていい。
という出だしから前回は90年代の知られざる作家、杉元伶一さんの寡作ぶりを惜しんだが、本が好きでいろいろ読んでいるとこの人のように、
「あ、こりゃ、すごい人が出てきたぞ!」
胸を躍らせる出会いというのがあって、それが大きな楽しみだったりする。
私自身の経験で言えば、前回も話題に出した森見登美彦をはじめ、他にもグレゴリ青山、米澤穂信、高野秀行、中島京子、小川一水などなど、最初に読んだ本の10ページ目くらいで、
「すごいな。この人、もう絶対に売れはるやん!」
そう確信させるほどの作家というのはいるもので、そういった人が実際にブレイクしたりすると、
「まあな、あの○○も今はがんばってるみたいやけど、オレが育てたようなもんや」
なんて、もう尻馬に乗って鼻高々なのである。
そういった「才能とのファーストコンタクト」のひとりに、将棋のプロ棋士である先崎学九段がいる。
先チャンといえば、『週刊文春』のエッセイや『駒落ちのはなし』『先ちゃんの順位戦泣き笑い熱局集』のような棋書のみならず、『小博打のススメ』のような本業以外の本まで出すなど、その文才は知られているが、やはり衝撃という意味ではデビュー作の「一葉の写真」にとどめを刺す。
1990年、まだ五段時代に先チャンはNHK杯戦で優勝をおさめる。
その際、今はなき『将棋マガジン』にかなり長めのエッセイが載せられたのだが、これが衝撃だった。
忘れもしない。5年前の『将棋マガジン』に一葉の写真が載った。羽生善治新四段と先崎学初段が並んで立っているだけの小さな写真だった。写真には副題がついていた。
<左は元天才?の先崎初段>
クエスチョンマークがなければ、僕は将棋をやめていただろう。
という出だしからはじまるこの文章は、先に四段になりどんどん階段を上がっていた羽生善治と自分の比較から、奨励会時代のフーテン生活。
そこから覚醒への道を作ってくれた室岡克彦七段の言葉や、森雞二九段へのあこがれなどが、若者らしい荒々しくも瑞々しい文体で語られるのだ。
これがねえ、もう読みながら腰が抜けそうになったもんですよ。
「嗚呼、文章を書く才能があるって、こういう人のことなんだ」
いや、私は評論家ではないから、どこかどうとか具合的には言えないけど、とにかくそう受け取るしかなかった。
今見ると、かなり粗削りな部分も多いけど(句読点の打ち方とか)、それでも「モノが違う」というオーラが感じられた。
よくスポーツの世界とかで、
「ものの数分で格の違いを感じさせた」
なんて言われる人がいますが、先チャンの文章もまさにそんな感じだった。
事実、これは私のような素人だけでなく、ミステリ評論家の茶木則雄さんなんかも目をつけていたそうだが、団鬼六先生のようなプロも感心し、すぐさま自身の主催していた『将棋ジャーナル』に原稿を依頼したくらい。
初めて書いたに等しい文章でこの評価。天は二物を与えずとか、大ウソでっせホンマに。
昨今ではブログやnoteなんかで「文章が上手い」と言われる人もいるけど、ちょっと先チャンのポテンシャルはそれとは違うというか。
それこそ将棋で言えば「クラスで一番強い」とか「町の道場で上の方」みたいな、強いことは強いけど
「奨励会行くんだよね? 師匠とか、もう決まってるの?」
とか言われてるレベルの子とは、明らかに「なにか」が違う感じというか。
「ダンスのうまい人」と「ダンサーになれる人」のちがい。
「準急」は各駅停車より早いけど、新幹線とは天地の差と言うか、うまく言えないけど、とにかく圧倒されたのだ。
世の中にはスゲー人がおるもんや、と。
その後、先チャンは本業でもA級八段になり、また文筆のほうでも活躍。
将棋と普及の両方で大きな貢献するのだが、個人的には明らかに技術力が上がった文春エッセイなどもいいが、やはり「才能のきらめき」という点では「一葉の写真」や同じく青春期的内容の「イエスタディ・ワンス・モアをもう一度」こそが、もっとも発揮されている気がするので、これを機会に読み返してみようかな。
(先崎学九段の書いた闘病記『うつ病九段』についてはこちらから)