前回(→こちら)の続き。
「マイナー選手萌え」である私が、テニスにおけるやや渋めの選手について紹介していこうというこの企画。
前回は1996年フレンチ・オープンで活躍した、ベルント・カールバッヒャーを紹介したが、ローラン・ギャロスではベスト16くらいの「だれやねん」率が他の大会より高い。
1997年大会 ガロ・ブランコがベスト8
1999年大会 フェルナンド・メリジェニとドミニク・フルバティがベスト4
2000年大会 フランコ・スキラーリがベスト8
2003年 マルティン・フェルカークが準優勝
芥川龍之介『羅生門』のごとく、だれも知らない選手が目白押しだ。
まあ、専門色の強いクレーコートは他とくらべて、ややマニアックな選手が活躍しがちだが、では芝のウィンブルドンはどうか。
ウィンブルドンはフレンチとくらべると、パワーとスピードにものを言わすアグレッシブなプレーヤーが勝てる大会。
優勝者を見ても、ピート・サンプラスやボリス・ベッカー、ステファン・エドバーグにロジャー・フェデラー。
などなどスターの名前が多いわけだが、中には「ほほう、こんな選手が」とほほが緩むような男が勝ち上がっていたりする。
たとえば、1996年大会のジェイソン・ストルテンバーグ。
オーストラリアといえば、古くはテニス王国であり、私がテニスを見出してからも、マーク・フィリポーシスにパトリック・ラフター、レイトン・ヒューイットに、トッド・ウッドブリッジとマーク・ウッドフォードのウッディーズ。
なとなど好選手を数多く輩出しているが、ジェイソンみたいな渋い選手も忘れてないところが粋である。
私が勝手に選ぶ地味な選手の条件として、
「見た目がおぼえにくい」
「ツアーで準優勝が多い」
「ダブルスが強い」
などと並んで、
「グランドスラムの最高成績が、軒並み4回戦どまり」
現役選手ならフィリップ・コールシュライバーとかジュリアン・ベネトーあたりが当てはまりそうだが、ジェイソンもまた他の4大大会では、多くがベスト16止まりであった。
ところが、どういった気まぐれか96年ウィンブルドンでは勢いが止まらず、準々決勝では、それまで2度決勝に進出しているゴーラン・イバニセビッチを破ってベスト4に進出したのである。
この年の大会は雨にたたられたせいもあってか、ボリス・ベッカーやアンドレ・アガシといった優勝候補が総崩れして、ファンと大会側をガッカリさせていた。
当時は私も、テレビで延々シートをかぶせられたセンターコートの映像を見させられて、うんざりしたもの。
また、悪いことは重なるもので、絶対的な芝の王者であったピート・サンプラスと地元期待のティム・ヘンマンすら準々決勝で姿を消してしまった。
こうなったら、残る楽しみはゴーラン・イバニセビッチの悲願の初優勝しかなかろうと期待していたら、なんとジェイソンに負けてベスト8で散り、もうコケそうになったのであった。
なんや、この大会は。
まあ個人的なグチはともかく、優勝候補であったゴーランを、しかもウィンブルドンの舞台で屠ったのは、ジェイソン・ストルテンバーグのテニス人生最大の勝利かもしれない。
私はテレビの前でコケながらも、
「こうなったら、いっそストルテンバーグが優勝したら笑うのになあ」
なんて大会側のため息(だったでしょう間違いなく)を尻目に呑気なことを考えていたものだ。
まあ、それはジェイソンに失礼な言い方だけど、でもホント、彼がチャンピオンになってたら、どうなってたかなあ。
みんな、反応に困ったやろうなあ。その意味では、せめて決勝にはいってほしかったような気がいないでもないというか、しないかな、やっぱり(←だから失礼だって)。
そんないぶし銀の男が魅せたウィンブルドンだが、この96年大会は決勝のカードもやや地味であった。
リカルド・クライチェク対マラビーヤ・ワシントン。
雑誌『スマッシュ』によると、アメリカのメディアではこの96年ウィンブルドンは、はっきり「はずれの年」といわれているらしい。
アメリカ人のマラビーヤが決勝に出ているのに、ヒドイやんという気もするけど、まあベスト4のカードが
クライチェク対ストルテンバーグ
ワシントン対トッド・マーティン
では無理ない気もするか。決勝も正直凡戦だったし。
そこまで「はずれ」といわれるなら、やはりそこはとことんはずす方向で突き詰めてほしかった。
そうなると、リカルドには悪いがそこはもういっそ
「ストルテンバーグ優勝」
という結果だったほうが、ハジケていたような気もする。
テニスの世界には「この年は○○が勝つべきだった」と自他ともに認められる大会がある。
たとえば97年USオープンのマイケル・チャンとか、2004年フレンチ・オープンのギレルモ・コリアなどがあるが、私としてはそこに
「96年ウィンブルドンはあえてジェイソン・ストルテンバーグが勝つべき大会だった」
という一説を加えたいところ。賛同者ゼロは覚悟している。
(マッケンロー編に続く→こちら)
★おまけ 後輩のレイトン・ヒューイット(当時16歳)と戦うストルテンバーグの雄姿は→こちら