「自称グルメの人」が苦手である。
知ったかぶりをする人、小銭にセコイ人、くだらないダジャレを連発する人
など、人の心を微妙にざわざわさせる人というのは数いるが、私の場合
「グルメ」
これを自認する人。
そういう人は当然食べることが好きで、よく「うまい店があるんだ」と教えてくれたり、中には手料理で腕を振るってくれる人もいる。
というと、ずいぶんといい人というか、便利でありがたそうな印象を受けるかもしれないが、これが店も手料理も本当においしければよい。
問題はそれがもう、めまいがするほどに、マズいものしか出してこない人の場合。
そういう意味での「自称」グルメである。
友人ツルミ君はそんな自称グルメであった。
「食にうるさい」という彼は、会うとかならず、美味いという店に連れていってくれる。
それが、ものの見事にまずいのである。その確率は、なんと100%。よく
「世界には絶対というものはない」
なんていうが、ある。
ツルミ君の紹介する店は、これまでただの一度として、おいしかったためしがない。
絶対にである。
その証拠に、彼に連れられた店というのが、その後数ヶ月ほどすると、例外なく、すべてつぶれていくからだ。
西原理恵子さんは
「店はにきびみたいに簡単につぶれます」
といったが、まさにそう。
ツルミ君一推しの店は、本当にいともあざやかに、この世界から痕跡を残さず消えていくのだ。
しかも、たいていが一年保たない。
半年もたたないうちに、「空店舗」の札がシャッターにむなしく揺れているのである。
とどめには、インターネットの「地元ふれあい掲示板」みたいなところをチェックすると、
「あそこ、つぶれたらしいよ」
「当たり前だよ、クソまずいもん」
「二度と行くわけがない」
とかけんもほろろ。
これはもう私だけの偏見ではなく、「世界の総意」という感じで、つぶれているのだ。
ツルミ君がマーキングした店が、その後を追うように次々とつぶれていくところから、いつしか友たちは彼のことを「食べる死神」と呼ぶようになった。
飲食店経営者にとっては、税務署か海原雄山の次くらいに恐怖であろう。
ところが、おそろしいことに、ツルミ君自身には、まったくそのような自覚がない。
それどころか、周囲の悪評を
「おかしいなあ、世間の奴らはわかってないなあ」
不思議がっている。
迷惑なのは、それにつきあわされる我々だ。
ただでさえ、まずい店につれていかれるうえに、同い年なのでおごってもらえるわけでもなく、自腹でつぶれる店のメシを食わされる。
正直、勘弁してほしい。
ある日、後輩であるナカモト君がたまりかねて、
「ツルミ先輩、悪いけどこの店、ちょっとひどくないですか」
そう提言した。
後輩がそんなことを言うのは、本来ためらわれるところだが、これは食後の我々があまりにも不機嫌な顔をしていたため、気を使って気持ちを代弁してくれたのだ。
ところが、これに対するツルミ君の返しというのが、心底納得いかないという顔で、
「なんだおまえ、味オンチなんじゃないか」
これには、ナカモト君がキレた。
普段は温厚で、常に先輩を立ててくれる後輩の鏡のような男が、
「てめー、ふざけんじゃねえー!」
大声を張り上げて、ツルミ君に襲いかかったのである。
ナカモト君のそんな姿を、見たこともなかった我々先輩陣は、あわてて止めたのであるが、後輩は義憤で顔を真っ赤にして、
「止めないでください、ゆるせねえ、コイツだけは男として、マジゆるせねえッスよ!」
ツルミ君に、ストンピングの嵐を見舞っていたのであった。
あのおとなしいナカモト君が……と、我々一同は、ある意味食い物の恨みはおそろしいと戦慄したものだ。
『ヒカルの碁』の若獅子戦で、和谷君が態度の悪い真柴初段に「テメー!」とキレて、おそいかかるシーンがあったけど、あそこを読んだとき私はツルミ君のことを思いだしたものだ。
こうしてまたも、世界に無益な憎しみと、争いが増える。
これだから「自称グルメの人」は困ったものなのである。
(続く→こちら)