ロバート・F・ヤング『たんぽぽ娘』が、やっと出版される運びとなった。
ドラマ『ビブリア古書堂の事件手帖』で取り上げられて、一般にも知られるようになったそうだが、肝心の本の方は出版予定の欄にはずっと名前があったのに、ぜんぜん出る気配がない。もう、いつ出るねんと。
そんな、長らく邦訳がなくて「幻の傑作」といわれていたこの『たんぽぽ娘』。
かくいう私は、この作品に特別な思い入れがある。
というのも、高校生のころ英語の原文で、この短編を読んだことがあるからだ。
というと、未訳の作品をペーパーバックで取り寄せて英語とかロシア語のまませっせと読んでいた、古き時代のSFファンのようであるが、もちろんそんなわけではなく、英語の授業のテキストで使用されていたからなのだった。
教科書に載っていたか、はたまた副読本であったか忘れたが、授業で小説を使うのがめずらしくて目を引いた。
当時の私はロクに勉強もせず、授業と言えば寝るか本を読むか。
天気のいい日にはサボって街をぶらついているかという超絶劣等生であったが、本好きで翻訳ものの小説になじんでいたので、辞書を引き引き読んでみた。
で、これがおもしろくって、そのまま通読してしまったわけだ。
まともに勉強してないから、ほとんど単語をつなげているだけで、読むというよりは「古代文字解読」みたいな感じだったけど、ストーリーはだいたい取ることはできた。
意外なことに、なんとこれが時間SFだったのである。
ほえー、まさか死ぬほど退屈な学校の授業でSFに出会えるとは。こんな教材ばっかだったら、私ももうちょっとまじめに授業を聞くのになあ。
なんてことを考えながら、このテキストを使う時間はちゃんと授業を聞いていたわけだが、そこでおもしろいことを発見することになる。
授業ではテキストを読んで、だいたいのあらすじを取った後、読後感を短いレポートにまとめて一人ずつ発表するという形式をとっていたのだが、そこでのクラスメートの意見に、
「内容がよく理解できなかった」
というものが多かったのだ。
理解できないって、私のような劣等生でも楽しく読んだ短編なのに、ずっと成績のいい皆がわからないとは、どういうことなのか。
なんていぶかしんだものだが、他の面々の発表も聞いてみて、なんとなくワケがわかってきた。
そうか、私以外のみんなはこれがSFだということにピンときていないんだな。
『たんぽぽ娘』は、先ほどもいったが、いわゆる時間SFというやつだが、そのことが読みながら、よくわかっていない子がほとんどなのだ。
だからタイムリープとかによる、時間軸のズレや構成がつかめていない。
文法の意味はとれる。単語も調べればわかる。
けど、肝心要の物語の核の部分がわからない。
なぜか。それはまあ、まさか学校の授業でSFなんて出てくるとは思わないし、そもそもまともな若者はSFなんて読んでいない。
なんといっても、当時は「SF冬の時代」まっただなかだったのだ。時間SFといわれても、「なんですのん?」てなもん。
野球のルールを知らない人が野球小説を読んでも、いまひとつツボがわからないようなものなのだ。
だから、くわしくはネタバレになるから書けないけど、あの唐突に出てくる「dandelion girl」ってなんなの? なんであの人はそんなことで悩むの? と、つかみどころがないわけだ。
へー、それで「読めてるのに、わからへん」ということになるんや。なるほどなー。
いうまでもなく、これは別に私が読めたからかしこくて、クラスメートが阿呆というわけではない。
私がたまたまSFも好きで(「も」と書くのは、本来はミスヲタだから。どっちにしても早川にはお世話になってます)、ハインラインの『夏への扉』とか、ジャック・フィニィ『ゲイルズバーグの春を愛す』。
あとはロバート・ネイサン『ジェニィの肖像』といった作品と、なじみがあったからというだけ。
単にホームグラウンドでの戦いだったというだけだが、それでも皆が首をひねる中、あざやかにストーリーを解き明かし、私のことをただの阿呆だと思っていた英語の先生や同級生が「へー」と感心するのを見るのは、たいそう気持ちがよかったものだ。
えっへん、オレだって、やるときはやるんだぜ!
そのときの会心の記憶が残っているため、いつか邦訳されたものを読みたいなあと思っていたら、そこからまさか2013年まで待たされるとは思わなかった。
長いよ! いくら時間SFでも、この待たせかたはあんまりや!
でもまあ、出るというから良しとしましょう。楽しみですなあ。