不屈の男マイケル・チャン その3 1996全米オープン決勝 対ピート・サンプラス戦

2013年08月31日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 1996年マイケルチャンにとって大きなシーズンとなった。

 オーストラリアンオープン決勝に進出し、その後もコンスタントに勝ち星を挙げ、世界ランキングを自己最高の2位まで持っていった。

 そして、この年はじめて、地元USオープンでも決勝に進出。

 勝てば、1989年フレンチオープンに続いて、自身2つ目のグランドスラムタイトル獲得、と同時に初の世界ランキングナンバーワンに輝くことになる。

 チャンにとって、テニス人生における最大の大一番をむかえることとなった。

 相手は世界ランキング1位、そしてこのUSオープンでも3度優勝を誇る(当時)ピートサンプラス

 最大最強の敵である。

 運命の決勝戦は、による順延でナイトゲームとなった。

 試合は序盤、サンプラスペースで進んだ。

 といっても、チャンピオンが押していたというよりは、チャンの動きにいつものキレがなかったせいだ。

 人生最大の勝負をむかえて、チャンは明らかに固くなっていた。

 さすがに新人のようにガチガチで動けないということはなかったが、それでもいつもの躍動感は感じられない。

 彼の若いころのあだ名は「グラスホッパー」だったそうだ。

 どんなボールでも飛びついて返してしまうからであるが、序盤のチャンにはそんな軽やかさはついぞ見られなかった。

 足は重く、らしくない散漫なショットが目立った。

 一方のサンプラスは、いつもの通りだった。

 もともとどんな場面でも表情は変わらない人だが、このときもいつものように淡々とプレー。

 スピードに乗ったサービスと、キレのあるネットプレーを軸にポイントを重ねていく。

 このあたりが経験の差なのだろうか。

 大舞台におけるプレーの仕方については、はっきりとサンプラスに一日の長があった。素人目にも、落ち着きがまるでちがった。

 チャンもメンタルの強さには定評がある選手だが、USオープン優勝、そして初の世界チャンピオンがかかった試合に、平常心で臨むのは至難の業だったのだろうか。

 そうして、ゲームは特に目立った競り合いもなく、サンプラスが2セット連取する。

 このままストレートで決着かと思われたが、ここからチャンが、ようやっと温まってきたのか、徐々にを発揮し出す。

 いつもの躍動感が戻り、目に光が灯った。

 リターンのときには相手をにらみつけ、闘志満々でコートをかけまわり、強烈なパッシングショットで、ネットに出るサンプラスの横を抜いていった。 

 これが、いつものチャンのテニスだ。

 たとえどんなに追いこまれても、決して自ら土俵を割ることはない。

 相手のエース級のボールに食いつき、目の覚めるようなドライブボレーを決めたときには雄叫びを上げた。

 クールなチャンにはめずらしいことだが、それくらい集中していた。

 そうして第3セットタイブレークに持ちこむ。

 もしこのテニスを第1セットから見せていたら、ゲームはもう少し違った展開を見せたかもしれない。
 
 だが、いかんせんそれには遅すぎた。

 王者サンプラスに対して、2セットダウンからスタートでは、あまりにも背負ったものが重すぎる。

 それでもチャンは彼らしく最後まであきらめず戦ったが、タイブレークはビッグサーブを持つサンプラスが優位だった。

 6-16-47-6サンプラスが勝ち、4度目のUSオープン優勝を飾った。

 チャンは敗れた。はっきり言って完敗だった。

 これはチャンにとってな言い方になってしまうが、プレッシャーや経験値の差を勘定に入れないにしても、やはりサンプラスには勝てなかっただろう。

 95年フレンチ96年オーストラリア、そしてこのUS3つ敗れた決勝戦で、今さらながらチャンの弱点があからさまに露呈してしまった。

 それはやはりパワーだ。

 サンプラスと、オーストラリアで戦ったベッカーは、ビッグサーブを軸に、どんどん前に出てくる攻撃的プレーヤー。

 フレンチで相まみえたトーマスムスターは、まるで背中にガスタンクを背負ってプレーしているかのようなタフな男。

 「ターミネーター」とか、その名前をモンスターとかけて「ムンスター」と呼ばれている選手である。

 そういったで押してくるトップ選手相手に、守勢に回らされると、いかなチャンとはいえ突破口を見い出すのは難しい。

 身長175センチというディスアドバンテージもめげず、サービスをみがき、強靱な肉体を作りあげた。でも、ここが上限なのか。

 世界チャンピオンの座は、手を伸ばせばすぐのところまで来たのに、その最後一歩があまりにも遠い。

 彼のMAXの力は、グランドスラムで「安定して準優勝できる」ところまでなのだろうか。

 私は、いやおそらくはファンの多くが、この決勝戦に結果とスコア以上の大きな失望を味わったに違いない。

 これだけのいいテニスをして、まちがいなく「全盛期」である時期にもかかわらずの、この完敗なのだから。

 ところが、ただひとり、マイケル・チャン本人だけがそう思っていなかった。

 サンプラスに完敗し、ナンバーワンへのチャレンジは終わったものだと誰もが感じている中、チャンは静かに次のチャンスにかけていた。

 それに心を打たれたのであろうか、テニスの神様はこの台湾系アメリカ人に、最後の、そして次こそ本当に最大のチャンスを与えたもうのである。

 それは、1997年シーズン

 クライマックスは、そう、この1年後のふたたびUSオープンでのことであった。

 (続く【→こちら】)



 ■1996年USオープン決勝の映像は【→こちら



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