不屈の男マイケル・チャン その2 1996全豪オープン決勝 対ボリス・ベッカー戦

2013年08月29日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 1995年セイコースーパーテニス決勝を見て、すっかりマイケルチャンファンになってしまった私。

 この年は、フレンチオープン2度目決勝進出を果たすなど、チャンの飛躍の年になっていた。世界ランキングも、5位前後を安定してキープ。

 96年も、その好調を維持。

 年明け早々のオーストラリアンオープンでは準決勝でライバル、アンドレアガシを破って決勝に進出。

 3度目グランドスラム決勝を戦うことになった。

 相手はドイツの英雄ボリスベッカー

 ウィンブルドン3回。このオーストラリアン・オープンでも1991年優勝している強敵である。

 ベッカーは91年ウィンブルドン以降、四大大会での優勝がなかったが、この時期は非常に充実しており、第2全盛期といえるほどにいいテニスを見せていた。

 持ち前のパワー円熟味が加わったベッカーはやはり手強く、2-64-66-2・2-6のスコアでグランドスラム2度目の優勝の夢ははばまれた。

 ただ、チャンのテニスも悪くはなく、両者好調同士ということもあってか、スコア以上に内容の濃い試合であった。

 敗れはしたものの、今期のこれからに充分期待が持てる決勝戦だったのだ。

 実際その通り、1996年のチャンは充実著しかった。

 チャンの弱点といえばサービスだとよくいわれていたが、このあたりから背の低さ(175センチということになってるが、たぶんもうちょっと小さい)をカバーするために、普通より少し長いラケットを使用。

 これでサーブのスピードアップに成功。エースの数が飛躍的に増えた。

 また、厳しいトレーニングで力負けしない強靱な肉体を作ることによって、トッププレーヤーのパワーテニスに対抗。

 持ち前のフットワークカウンターを組み合わせることによって、大型選手にも押されることが減っていった。

 チャンといえばそのキャリアでまず語られるべきは、1989年フレンチオープン

 ステファンエドバーグを破って17歳3ヶ月の若さで優勝したことだろう。

 これは、ボリス・ベッカーの17歳7ヶ月でウィンブルドン優勝の記録を塗り替える、四大大会優勝者の最年少記録である。

 このときのチャンは、まだ体ができていないこともあって、明らかにテニスにがなかった。

 特にサービスなど野球でいうチェンジアップのようなゆるさで、今ならジュニアチャンピオンでも、もう少しマシなものを打ちそうなシロモノだった。

 そんな貧弱な武器しか持たない少年時代のチャンは、まさに若さ精神力のみでエドバーグを粘り倒した。

 おおよそ、大きな大会の決勝戦をモノにする選手は強靱なメンタルでもって戦うわけだが、武器が「ど根性のみで栄冠を勝ち取ったのは、このときのチャンが白眉であったろう。

 それとくらべると、95~96年シーズンのチャンは見違えるようにたくましくなった。

 その最大の売りであるなど、まるで丸太のような太さである。

 着々と「完成型」を目指すチャンは、この年フレンチオープンウィンブルドンこそ平凡な成績に終わったものの、他の大会では着々とポイントを重ね、ついには世界ランキング自己最高の2位をマーク。

 とうとう、頂点が見える位置までやってきたのだ。 

 そうしてむかえたのが地元USオープン

 ここでもチャンは順調に勝ち上がり、準決勝でまたもアガシを沈めて決勝に進出。

 3度目の正直。そして、この決勝はただ2度目のグランドスラムタイトルをねらえるというだけではない。

 勝てばその瞬間、コンピューターランキングで1位になることが決定していたのである。

 USオープンのトロフィー世界一位

 それをかけた決勝の相手は、第1シードで世界ランキング1位の王者、ピートサンプラス

 人生最大かもしれない大一番に、最強の壁が立ちはだかることになる。


 (続く【→こちら】)


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