前回の続き。
ナマケモノの私が、いかにして「初段の壁」を超えたのかについて、このところ語っているが(ここまでの激辛道場編は→こちら 高校で詰将棋マニアと出会うところは→こちら)その特徴は、実戦をあまり指さないタイプだったこと。
将棋雑誌を欠かさず購入し、スクラップまで作っていた(今のブログネタに生かされてます)ガチの将棋ファンにもかかわらず、とにかくだれかと指すという機会が、まったくなかったのだ。
まあ昔だと、「将棋道場」という文化に肌が合わなかったり、学校に「将棋部」がないと、わりとありがちだったと思うけど、この状況に風穴を開けたのが、ネット将棋という存在だった。
20代半ばくらいに、友人から古いノートパソコンをゆずってもらい、なんとなく「将棋俱楽部24」をはじめてみたら、これがハマった。
なんといっても、家で気軽に指せるのがいい。
道場みたいに、相手がいなくて待ちぼうけとか、煙草の煙とか、マナーの悪い人とか(これはネットにもいるかな)、そもそも、そんなに社交的じゃないしとか。
そういった対人のめんどくささが、すべて解消されている。
時間帯もお好みのままで、気まぐれな私にはピッタリだ。
棋力がよくわからないので(単純なブランクだけでも7年どころか、実質15年くらいだ)、最初はとりあえず3級で登録。
指してみると、はじめはぎこちなかったが、徐々になれだして、勝てるようになってきた。
5局指して3勝2敗くらいのペースだったが、いろんな人と指しているうちに、なんとなくではあるが、自分の将棋が通じることがわかってきた。
前回も書いたが、私の売りは、雑誌の自戦記や観戦記を読みまくり、「棋譜並べ」を山盛りやったことによって身についた、「実戦的な手」の数々。
定跡にくわしくなく(めんどくさくて覚える気にならない)、詰将棋もやらないから、詰みの部分も「なんとなく」でやっている、とんでもなく、いいかげんなプレースタイル。
けどそこは、アマ級位者レベルなら、不利になった中盤のごまかし方と、相手が息切れするまで耐え抜く、勝負手とド根性を駆使すればなんとかなる。
1977年の十段リーグ。米長邦雄八段と、淡路仁茂五段の一戦。
図の△56歩が米長いわく「まやかしの手」。
▲同金なら△35歩だが、取らないのも気持ち悪い。
こうして「心理的に揺さぶっ」て、やや不利な局面から逆転勝ち。
こういう手をマネして、相手が悩んでくれるのを見守るスタイル。
自分のストロングポイントがハッキリすると、必然「勝ちパターン」のようなものが確立されてくる。
こういう「自分の土俵」を見つけることは大事。
私の場合、リードされたところから挽回していって、明らかに相手があせったり、もてあましている感じがしてくると「勝ったな」という気分になる。
逆に中盤でリードを奪って、「キープして勝つ」ことを求められる局面とかはキツイ。
また、終盤で一手違いの切り合いになると、詰将棋をやらないせいで、寄せがヘボくて、やられてしまうから、なんとか避けるようにする。
こういうのが見えてくると、指していても、おもしろくなってきて、それが自信になったのか、ボチボチとではあるが、勝ちを積み重ねた。
1級では、さすがにちょっと時間がかかったものの、まずは目標である初段に到達することができた。
アマチュアで、とりあえず初段になれれば、まずは一人前だ。
「任務完了」で、あとは気楽に指して、ここをキープしておけばいいやと、上昇志向もへったくれもない(だからこれ以上、強くなれないんだな)ことを考えていたのだが、ここから話は思いもかけない展開を見せるのだ。
(続く→こちら)