静観寺
806(大同元)年、最澄の創建と伝えられ、当時は、7000坪の大敷地に五重塔七堂伽藍が建ち並び、大変に栄えていたといいます。
江戸時代、朝鮮通信使の常宿ともなりましたが、度重なる戦乱や火災によって、多くの文化財は焼失してしまいました。
妙蓮寺
慶長年間(1596~1614年)に創建されたと伝えられています。
福山藩主水野勝俊からの庇護もあり、勝俊の位牌が伝わっています。
境内には、承応年間(1652~1654年)に建立したと伝えられる三十番神堂があります。
江戸時代を通して、朝鮮通信使の常宿でもありました。
顕政寺
足利義昭が身を寄せていた熊野町の常国寺の末寺でしたが、慶長年間(1596~1614年)福島正則(芸備藩主)によって、この顕政寺などの寺々をほぼ一直線に結ぶ寺町(町割り)が形成されました。 元禄5年(1692年)に第三世が寄進した大曼荼羅があります。
元禄年間の山門、本堂、庫裡が当時のまま残っています。
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