法宣寺の創建は南北朝時代の1358年(正平13年)、開基は大覚大僧正と伝えられ、日蓮宗大本山妙顕寺(京都市上京区)の末寺です。
1358年、大覚は鞆の浦に法華堂を建立し、この地を拠点として説法を始めました。
それ以後、鞆の浦は西国における法華布教の重要拠点となり、法宣寺は三備(備前、備中、備後)日蓮宗の重要寺院となって存続し、江戸時代には朝鮮通信使の宿所として使用されていました。
法宣寺の天蓋マツは、法宣寺の境内に生育していたクロマツの巨木で、大僧正手植えの木と伝えられ、推定の樹齢は630年とされていました。
本堂の向かって左側から生え出たマツは、ほとんど本堂の前庭を覆うほどに大きく枝を広げ、その形が仏像などに差し掛ける装飾の「天蓋」に似ているため、「天蓋マツ」という名称で呼ばれるようになったとか。
1944年(昭和19年)に国の天然記念物に指定されましたが、1991年(平成3年)夏に枯死してしまったそうです。
現在は支柱がこのように残されています。
当時の松の画像
(Wikipediaより)
天蓋マツの代わりではありませんが、当寺の塀の前に立つ松が目立っていました。
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1358年、大覚は鞆の浦に法華堂を建立し、この地を拠点として説法を始めました。
それ以後、鞆の浦は西国における法華布教の重要拠点となり、法宣寺は三備(備前、備中、備後)日蓮宗の重要寺院となって存続し、江戸時代には朝鮮通信使の宿所として使用されていました。
法宣寺の天蓋マツは、法宣寺の境内に生育していたクロマツの巨木で、大僧正手植えの木と伝えられ、推定の樹齢は630年とされていました。
本堂の向かって左側から生え出たマツは、ほとんど本堂の前庭を覆うほどに大きく枝を広げ、その形が仏像などに差し掛ける装飾の「天蓋」に似ているため、「天蓋マツ」という名称で呼ばれるようになったとか。
1944年(昭和19年)に国の天然記念物に指定されましたが、1991年(平成3年)夏に枯死してしまったそうです。
現在は支柱がこのように残されています。
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天蓋マツの代わりではありませんが、当寺の塀の前に立つ松が目立っていました。
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