日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

鞆の浦の寺社・史跡めぐり(4)山中鹿之介の供養塔とささやき橋

2015-09-09 | 史跡
静観寺の前に山中鹿之介の供養塔と「ささやき橋」があります。



尼子十勇士の1人、山中鹿之助はで、上月城の戦いで、毛利勢に降伏し、毛利輝元の下へ護送中、高梁川の「阿井の渡し」で謀殺されました。




備中松山城にいた毛利輝元が、首実検をし、鹿介の首は備中松山城より鞆城へ送られ、その時鞆にいた将軍・足利義昭も首実検したそうです。




鹿介の首は、この首塚の近くに埋葬されたと伝えられています。

また、岡山県の阿井の渡しには胴塚があるそうです。

鹿介は、尼子氏が衰亡していく中、御家再興のため、

願わくば、我に七難八苦を与えたまえ

と三日月に祈ったといいます。


ささやき橋


応神天皇の頃、百済よりの使節の接待役、武内臣和多利と官妓江の浦は役目を忘れ、人目を忍んで夜毎この橋で恋を語り合っていました。それが噂になり二人は海に沈められました。
それから密語の橋と語りつがれています。


ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m



にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする