静観寺の前に山中鹿之介の供養塔と「ささやき橋」があります。
尼子十勇士の1人、山中鹿之助はで、上月城の戦いで、毛利勢に降伏し、毛利輝元の下へ護送中、高梁川の「阿井の渡し」で謀殺されました。
備中松山城にいた毛利輝元が、首実検をし、鹿介の首は備中松山城より鞆城へ送られ、その時鞆にいた将軍・足利義昭も首実検したそうです。
鹿介の首は、この首塚の近くに埋葬されたと伝えられています。
また、岡山県の阿井の渡しには胴塚があるそうです。
鹿介は、尼子氏が衰亡していく中、御家再興のため、
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」
と三日月に祈ったといいます。
ささやき橋
応神天皇の頃、百済よりの使節の接待役、武内臣和多利と官妓江の浦は役目を忘れ、人目を忍んで夜毎この橋で恋を語り合っていました。それが噂になり二人は海に沈められました。
それから密語の橋と語りつがれています。
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尼子十勇士の1人、山中鹿之助はで、上月城の戦いで、毛利勢に降伏し、毛利輝元の下へ護送中、高梁川の「阿井の渡し」で謀殺されました。
備中松山城にいた毛利輝元が、首実検をし、鹿介の首は備中松山城より鞆城へ送られ、その時鞆にいた将軍・足利義昭も首実検したそうです。
鹿介の首は、この首塚の近くに埋葬されたと伝えられています。
また、岡山県の阿井の渡しには胴塚があるそうです。
鹿介は、尼子氏が衰亡していく中、御家再興のため、
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」
と三日月に祈ったといいます。
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応神天皇の頃、百済よりの使節の接待役、武内臣和多利と官妓江の浦は役目を忘れ、人目を忍んで夜毎この橋で恋を語り合っていました。それが噂になり二人は海に沈められました。
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