小烏神社は、沼名前神社の境外末社で、地元の人たちから「こがらっさん」の愛称で親しまれています。
福島正則が鞆の浦の城下町を整備した際、鍛冶工をこの地域に集めて鍛冶屋町を造り、その中心にあるのが小烏神社です。由緒書きによると、創建の年代は不詳となっていますが、室町時代後期に、鍛冶を生業とする人たちが、氏神様として祀ったのが起源ではないかといわれています。
拝殿
本殿
金古稲荷神社
小烏神社の境内は、南北朝時代の古戦場にもなっています。
1349(正平4)年、足利尊氏の弟・直義の義子であった直冬は、中国(長門)探題として鞆の浦の大可島城に赴任しました。
当時、高師直(こうのもろなお)と直義が対立しており、直義が高師直によって追われたことを知った直冬は、高師直・尊氏と戦いますが、敗れて九州に敗走したとされています。(小烏の合戦)
12月には例祭である「ふいご祭り(鉄鋼祭)」も開かれるそうです。
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福島正則が鞆の浦の城下町を整備した際、鍛冶工をこの地域に集めて鍛冶屋町を造り、その中心にあるのが小烏神社です。由緒書きによると、創建の年代は不詳となっていますが、室町時代後期に、鍛冶を生業とする人たちが、氏神様として祀ったのが起源ではないかといわれています。
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小烏神社の境内は、南北朝時代の古戦場にもなっています。
1349(正平4)年、足利尊氏の弟・直義の義子であった直冬は、中国(長門)探題として鞆の浦の大可島城に赴任しました。
当時、高師直(こうのもろなお)と直義が対立しており、直義が高師直によって追われたことを知った直冬は、高師直・尊氏と戦いますが、敗れて九州に敗走したとされています。(小烏の合戦)
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