八百富神社と徳川家との関係は深く、慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの前には徳川家康が参拝し、その後朱印4石8斗を寄進したといわれています。
また、家康が会津の上杉征伐に向かう途中、船で竹島に着き、郷土である内田弥右衛門義隆が蜻蛉貝や鯛二匹を献上したという記録があり、その際縁起が良いと喜んだそうです。
八百富神社
八安徳天皇の養和元年(1181年)に、藤原俊成によって創建されたと伝えられています。
ご祭神は天照大神が剣を折って霧を出した時に現われたと言われている市杵島姫命で、
開運・安産・縁結の神として知られ、江の島・竹生島・厳島と共に、日本七弁天の中に挙げられています。
八大龍神社 / 祭神 豊玉彦命
藤原俊成の夢に、「永く竹島に遷りて諸人に幸福を与えん」(竹島に長く留まり、全ての人々に幸福を与えなさい)という宣託があり、海底に綱があって引き上げて、ここに祭ったという言い伝えがあり、雨乞いに霊験著しい神様として知られています。
帰りの階段の途中で見た景色は・・・
なかなかの絶景でした。
そして対岸の遥拝所へ
ここから竹島を臨むことができます。
八百富神社公式HP参照
ブログランキングの応援よろしくお願いします😄
近江水口では長束正家に狙われもするし、伊勢湾を抜けると家康公の故郷でもあるし、安心だったでしょうね。
さすが葵さんの分析は鋭いですね
家康は、伊賀越えで九死に一生を得ていますからね
安全圏をとったのでしょう😀