静岡浅間神社から5分ほど北に行ったところに瑞龍寺というお寺があります。
1560年(永禄3年)、能屋梵藝によって開山され、徳川家康が居城を駿府城に定めた際に寺領が与えられました。
天下取りを目指した豊臣秀吉は、家康と同盟関係を築くため、天正1586(14)年、自分の妹である旭姫を、夫の佐治日向守(さじひゅうがのかみ)離縁させ、 築山御前の死後、正室を持たなかった家康に嫁がせました。
同年、旭姫は、家康と共に浜松城から完成した駿府城に移り、駿河御前と呼ばれました。
旭姫は、1588(天正16)年に自分の母である大政所の病気見舞いのために上洛しますが、1590(天正)18年京都・聚楽第で 病気のため、48歳で亡くなります。
そして、京都の東福寺南明院に葬られ、 この後、家康は、東福寺から遺骨を分骨してもらい、瑞龍寺にも旭姫の供養塔を建てました。
その時の法名「瑞龍寺殿光室総旭大禅定尼」(ずいりゅうじでんこうしつそうぎょくだいぜんじょうに)から、当寺は瑞龍寺という名になったそうです。
境内にはその他、芭蕉の句碑・時雨塚やキリシタン灯篭などがあります。
芭蕉の句碑・時雨塚
キリシタン灯篭
また、寺には、家康が寄進したという十六羅漢像や釈迦三尊像のほか、旭姫の遺品などが収蔵されています。
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以前は若干傾いてたので、これは…と気になっていました。