大書院の上段の間には、壁面七面、襖四本の両面の計十五面に、谷文晁によって「紙本水墨四季山水障壁画」が描かれ、このことから当寺は「文晁寺」とも言われてぃます。
谷 文晁
詩人谷麓谷の子として、宝暦恰3年(1763)江戸に生まれた。
画をもって田安侯に仕え、松平定信の庇護を受けた。円山派の波辺南岳、北山寒巌の北画風をはじめ、宋、元、明の諸家の名蹟に学び、あらゆる画風の長をとって折衷した。
山水、花鳥、人物など一つとして可ならざるはなく、大和絵までこなし、光琳瓜、四条派瓜をとり入れるなど。その画風は江戸期の全流派を集大成した感じがある。
旅を愛し、最も得意とするところは山水画で、北宗的な堅い筆法と南宋的で柔和な空問のひろがりを総合して一派を創始、南北総派の祖といわれる。山水画の中でも三十歳前後の作品は、賦彩や濃淡のニュアンス、構成の新しさにおいて当代無類、江戸第一の大家と目され、この期の作は世に「寛政文晁」と珍重される。
学才にもすぐれ「画学大全」、「歴代名工両譜」など著述も多い。晩年には流行におぼれて乱作したが。渡辺華山などを門下に輩出、先近代的な画壇形成に力があった。
谷文晁自画像
谷文晁像(最晩年)
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この大書院だけでも、かなり見応えがあります。
この時、見学者は他にいなかったので、ゆっくりと見学できました。