蒲原の新栄六本松公園の北側には、浄瑠璃姫の墓、浄瑠璃姫の碑、吹き上げの六本松があります。
浄瑠璃姫は、義経を追ってここまで来ましたが、力尽きてここ吹き上げの浜で亡くなったといいます。
里人は浄瑠璃姫を哀れんで丁重に葬り、塚の上に目印として松を6本植えたと伝えられています。
浄瑠璃姫の碑・吹き上げの六本松
浄瑠璃姫に関する伝説はいくつかあり、そのひとつがここ蒲原町に残っています。 浄瑠璃姫の碑には、恋い慕う義経を追ってきた三河国矢作の浄瑠璃姫が、吹き上げの浜で疲れ果てて亡くなったと記されいます。 天正時代の頃(1580年)に小野於通(おのおつう)という女性によりまとめ上げられた「浄瑠璃十二段草子」という本には、里人によって吹き上げ浜に追われた瀕死の義経が、浄瑠璃姫の涙の雫により甦ったという筋書きになっています。 それに節をつけて語ったものが人気を呼び、「浄瑠璃」という江戸時代の代表的な芸能に発展していきました。 吹き上げの六本松 吹き上げの六本松は、浄瑠璃姫を葬った里人が姫を哀れんで植えたとも、塚の上に目印として植えられたとも言われています。やがて、大きな木に成長すると東海道を渡る旅人の目印となったと「東海道名所図解」に示されています。 永禄12年(1559年)12月、蒲原城が武田軍により落城した時、この六本松の辺りに本陣を置いて勝ち鬨を挙げたことが「甲陽軍艦」に記されています。 静岡市
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