歴史を面白く見るには、このくらいの冗談は許容範囲として認めてあげて良いと思う。
源義経は、1189年、岩手県胆沢郡衣川で 31歳 自害と歴史上では定められている。 しかし、私は、きっと彼は藤原秀衡の息子の泰衡に、内緒で逃がして貰ったと確信している。 チンギス・ハーンに成ったとすれば、尚面白いストーリイが展開される。
坂上田村麻呂が、奥州胆沢地方を遠征したのは802年、降伏したアテルイ他エミシ側の生命の保証を約束し、降伏させた。
だが、大和朝廷に恭順の意を表しに、上京したアテルイと家族を大阪府枚方市で朝廷側は、処刑してしまった。 田村麻呂は、当時の所謂豪傑であったとの思いから判断すれば、その生命保護の約束が嘘になったことに、ひどく落胆したであろうことは間違いない。
時代は変わっても、現場サイドと官僚側の思惑の隔たりは変わりが無い。
正に、為政者はもっと庶民の心を大切にしなければ、何時かしっぺ返しが来る事を肝に銘ずべきではないだろうか。
ネットの力で、面白い記事を見つけた。
*** 小沢幹事長は、アテルイの末裔・・・以下 引用 ***
http://www.kinyobi.co.jp/henshucho/articles/ippituhuran/20100115-782.html
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本誌05年1月21日号、編集委員本多勝一による小沢インタビューの一部を再録する。
・ 本多 小沢さんはアテルイの末裔だそうですね。 その意味では、日本国憲法の1条から8条あたりに対して違和感があるのかと思っていたのですが(以下略)。
・ 小沢 僕らの先祖は130年前の明治維新のときも賊軍の汚名をきせられた。 賊軍だから靖国神社にも祀られていない。 それにもかかわらず、今も勤王の志を抱いているのだから、たいしたものだ。 先祖はその昔「俘囚」と呼ばれ、大和朝廷に最後まで反抗した。アテルイは1200年前だ。 僕は、末裔として反骨精神が強いと思うが、ものの考え方は論理的、合理的だ。
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*** 以上 引用 終 ***
AC800年前後、坂上田村麻呂は、京都を出て日本海から山形に入り、奥羽山脈を越えて岩手県に入った事は、明らかである(4万人の兵を伴い?)。 長井市辺りには、その痕跡すらある。
そして、村山地方に限って云えば、石器、土器の出土から、2000年以上前には人間が住み着いていることも明らかなことである。
前方後円墳や寺院がAC800年以前からあった事を考えれば、山形には反骨精神の現地人が少なかったのだろう、岩手より遥かに早く中央の支配下に置かれていたようである。
余りにも外国人参政権にこだわる小沢幹事長、最近では何か人種的なこだわりを追及しているブログも、多々有る事に、アテルイの末裔論まで飛び出せば訳が分からなくなりそうです。
日本にとって、何もメリットの無い外国人参政権、これが無ければおおいにお尻を押して上げるんですが・・・ 。
P.S.
私のご先祖様は、苗字は伏せますが、『源九郎』と言われた事に、かすかに義経に連がるのではないかと期待する今日このごろです。