今回ご紹介するのは「もういちど生まれる」(著:朝井リョウ)です。
-----内容-----
彼氏がいるのに、別の人にも好意を寄せられている汐梨。
バイトを次々と替える翔多。
絵を描きながら母を想う新。
美人の姉が大嫌いな双子の妹・梢。
才能に限界を感じながらもダンスを続ける遥。
みんな、恥ずかしいプライドやこみ上げる焦りを抱えながら、一歩踏み出そうとしている。
若者だけが感受できる世界の輝きに満ちた、爽快な青春小説。
-----感想-----
この作品は以下の五編で構成されています。
ひーちゃんは線香花火
燃えるスカートのあの子
僕は魔法が使えない
もういちど生まれる
破りたかったもののすべて
どの作品も、その年に20歳を迎える若者達が語り手です。
「ひーちゃんは線香花火」の語り手は汐梨(しおり)。
冒頭、風人(かざと)とひーちゃんの三人で徹夜でマージャンをしていた明け方、部屋で寝てしまっていた汐梨は誰かにキスをされたようでした。
どうやらそれは風人のようでした。
汐梨は動揺します。
汐梨には尾崎という彼氏がいて、友達は風人とひーちゃんの二人です。
「東京に出てきたあたしの両手はそれでいっぱいだ」と述懐していて、この三人が汐梨の人付き合いの中心となります。
ちなみにひーちゃんの名前は「ひかる」で、三人ともR大学という東京都内の大学に通っています。
「あたしが子どものころに想像していた19は、こんなふうに、ぐしゃぐしゃになった洗濯ものを放っておいたりはしなかったはずだ」という心境は、たしかにそのとおりだと思いました。
私はもう少し後の21歳頃に、仕事で精神的な疲労が激しく、似たようなことになったことがありました。
汐梨は「線香花火の危うさは、ひーちゃんに似ている」とも語っていました。
いつ消えてしまうかわからないような儚さがあるということです。
また、この話には最後に意外な展開が待っていました。
どんでん返しに驚きました。
「燃えるスカートのあの子」の語り手は佐久間翔多。
翔多のバイト先にハル(遥)という子がいます。
ハルは短い黒髪にブルーのメッシュを入れていて、ダンスの専門学校にも通っていて、独特な雰囲気を放っています。
翔多は同じ大学の椿という人のことが好きで、ハルが高校時代に椿と仲良しクラスメイトだったことからあれこれ聞こうとしていますが、ハルには煙たがられています。
ちなみに椿は読者モデルとして雑誌に載ったりもしていて、なかなか派手な子です。
この話には翔多の少し話す友達で、派手なパーマでメガネのフレームが虹色の礼生(れお)が登場します。
礼生は映画サークルで映画を撮っています。
一話目でほんの少しだけその存在が描かれていて、二話目への伏線になっていました。
その他、大学内のパン屋で汐梨がアルバイトをしていることについての翔多と礼生の会話から、一話目と同じ大学が舞台なのが分かりました。
翔多には丘島純(オカジュン)、佐倉結実子(ゆみこ)、椿の三人の友達がいます。
オカジュンは結実子のことが好きで、翔多は椿のことが好きです。
翔多の「あったかいごはんに納豆と味噌汁と焼き魚がそろったように、オレたち四人はいつでも無敵になれる」という言葉が印象的で、なかなか良い四人組のようです。
また、この物語では「何者かになりたくて」「何者にもなれなくて」といった言葉がよく出てきます。
後の直木賞受賞作「何者」につながるものがあるなと思いました。
「僕は魔法が使えない」の語り手は渡辺新(あらた)。
新は一浪して美術大学に入りました。
ナツ先輩という人がよく出てくるのですが、この人の妹は二話目に出てきたハルです。
また、新の父は亡くなっていて、母は鷹野さんという人と再婚するかもしれず、そのせいで新は母とうまく向き合えなくなっていました。
また、ナツ先輩はR大学の映画サークルの映画撮影を手伝っていました。
R大学は一話目と二話目に出てきた大学です。
派手なパーマで虹色のメガネフレームの礼生が、ナツ先輩が描いたダンサーの画を美術展で見て気に入り、声をかけてきていました。
新はナツ先輩の助手としてくっついて行っていました。
この話で新は人物画を描こうとするのですが、「悲しみや希望や無念や様々な感情はあるけれど、微笑みがどの感情よりもほんのちょっとだけ多いような、そんな人物画を描きたい」と語っていました。
これは印象的な言葉でした。
悲しみや希望や無念や様々な感情はあるけれど、微笑みがどの感情よりもほんのちょっとだけ多いというのは、きっと温かみのある優しい表情になるのではと思います
「もういちど生まれる」の語り手は柏木梢。
椿は双子の姉です。
私は「普通に話せる」という感覚はとても難しいと思う。笑わせようとか、盛り上げようとか、沈黙が気まずいとか、そういうことを一切気にしなくていいような、心拍数の変動が全くないような「普通」の会話ができる相手って、きっと、すごく貴重だ。
冒頭からこの文が出てきて目に留まりました。
これはまさにそのとおりだと思います。
無理して笑わせたりせず、沈黙を恐れず、自然体で話せるような相手は本当に貴重だと思います。
梢は高田馬場駅の近くにある予備校に通っています。
二浪してしまい、予備校で20歳を迎えることになりました。
ちなみに一話目に出てきた風人と梢は幼馴染みで、風人は梢のことを「こっさん」と読んでいます。
こんな感じで、どの話も少しずつリンクしています。
例えばその話に出てきた友達の向こう側の日常が、次の話で描かれていたりします。
友達のこちら側の人から見れば向こう側は未知ですが、友達から見ればこちら側も向こう側も両方が日常となります。
梢は予備校の先生に片思いをしています。
妻子持ちとのことで、好きになってはいけない人を好きになってしまいました。
また、梢は椿のことを苦手にしていて、嫌っています。
梢はルックスにおいて自分より全てにおいて上回っている椿にコンプレックスを持っていて、この物語の最大のテーマでした。
19歳から20歳になるという、まるで水平線をまたぐような一歩を含んだ、人生に一度きりの夏
これもすごく印象的な言葉でした。
10代最後の夏というのは、特に意識するものだと思います。
「破りたかったもののすべて」の語り手は遥。
二話目に登場した「ハル」です。
遥はスクエア・ステップス東京校というダンスの専門学校に通っています。
二話目でのつっけんどんで自信がありそうな態度とは違い、実際の遥は才能の壁を前に行き詰まっていました。
同じクラスには有佐(ありさ)という圧倒的なダンスセンスの持ち主がいます。
遥はそれを見て敗北を感じています。
発表会のポジション決めに向けて一人で練習している時、「苦手なところを思いっきり練習できるのは、スタジオに誰もいない数分間だけだ」と胸中を語っている場面がありました。
これは弱味を見せられないということで、何となく分かります。
情けない姿を見せたくないのだと思います。
夜な夜な多くのダンサーが練習をしているという新宿駅西口近くにある大きなガラス張りのビルは、新宿モード学園コクーンタワーのことではないかと思いました。
ガラス張りのビルが夜になると大きな鏡のかたまりになるため、ダンサーに重宝されているようです。
遥もそこで練習をします。
翔多から見た「ダンスができるなんてすごい」な遥と、自身の限界に直面して挫折している遥のギャップが凄い、ちょっと切ない物語でした。
そして有佐はそんな遥のことも馬鹿にはせず、正面から声をかけてくれていて、遥との内面の差も描き出されていました。
遥がそれを受け止めて、自分なりのダンスで道を切り開いていってくれたら嬉しいなと思いました。
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-----内容-----
彼氏がいるのに、別の人にも好意を寄せられている汐梨。
バイトを次々と替える翔多。
絵を描きながら母を想う新。
美人の姉が大嫌いな双子の妹・梢。
才能に限界を感じながらもダンスを続ける遥。
みんな、恥ずかしいプライドやこみ上げる焦りを抱えながら、一歩踏み出そうとしている。
若者だけが感受できる世界の輝きに満ちた、爽快な青春小説。
-----感想-----
この作品は以下の五編で構成されています。
ひーちゃんは線香花火
燃えるスカートのあの子
僕は魔法が使えない
もういちど生まれる
破りたかったもののすべて
どの作品も、その年に20歳を迎える若者達が語り手です。
「ひーちゃんは線香花火」の語り手は汐梨(しおり)。
冒頭、風人(かざと)とひーちゃんの三人で徹夜でマージャンをしていた明け方、部屋で寝てしまっていた汐梨は誰かにキスをされたようでした。
どうやらそれは風人のようでした。
汐梨は動揺します。
汐梨には尾崎という彼氏がいて、友達は風人とひーちゃんの二人です。
「東京に出てきたあたしの両手はそれでいっぱいだ」と述懐していて、この三人が汐梨の人付き合いの中心となります。
ちなみにひーちゃんの名前は「ひかる」で、三人ともR大学という東京都内の大学に通っています。
「あたしが子どものころに想像していた19は、こんなふうに、ぐしゃぐしゃになった洗濯ものを放っておいたりはしなかったはずだ」という心境は、たしかにそのとおりだと思いました。
私はもう少し後の21歳頃に、仕事で精神的な疲労が激しく、似たようなことになったことがありました。
汐梨は「線香花火の危うさは、ひーちゃんに似ている」とも語っていました。
いつ消えてしまうかわからないような儚さがあるということです。
また、この話には最後に意外な展開が待っていました。
どんでん返しに驚きました。
「燃えるスカートのあの子」の語り手は佐久間翔多。
翔多のバイト先にハル(遥)という子がいます。
ハルは短い黒髪にブルーのメッシュを入れていて、ダンスの専門学校にも通っていて、独特な雰囲気を放っています。
翔多は同じ大学の椿という人のことが好きで、ハルが高校時代に椿と仲良しクラスメイトだったことからあれこれ聞こうとしていますが、ハルには煙たがられています。
ちなみに椿は読者モデルとして雑誌に載ったりもしていて、なかなか派手な子です。
この話には翔多の少し話す友達で、派手なパーマでメガネのフレームが虹色の礼生(れお)が登場します。
礼生は映画サークルで映画を撮っています。
一話目でほんの少しだけその存在が描かれていて、二話目への伏線になっていました。
その他、大学内のパン屋で汐梨がアルバイトをしていることについての翔多と礼生の会話から、一話目と同じ大学が舞台なのが分かりました。
翔多には丘島純(オカジュン)、佐倉結実子(ゆみこ)、椿の三人の友達がいます。
オカジュンは結実子のことが好きで、翔多は椿のことが好きです。
翔多の「あったかいごはんに納豆と味噌汁と焼き魚がそろったように、オレたち四人はいつでも無敵になれる」という言葉が印象的で、なかなか良い四人組のようです。
また、この物語では「何者かになりたくて」「何者にもなれなくて」といった言葉がよく出てきます。
後の直木賞受賞作「何者」につながるものがあるなと思いました。
「僕は魔法が使えない」の語り手は渡辺新(あらた)。
新は一浪して美術大学に入りました。
ナツ先輩という人がよく出てくるのですが、この人の妹は二話目に出てきたハルです。
また、新の父は亡くなっていて、母は鷹野さんという人と再婚するかもしれず、そのせいで新は母とうまく向き合えなくなっていました。
また、ナツ先輩はR大学の映画サークルの映画撮影を手伝っていました。
R大学は一話目と二話目に出てきた大学です。
派手なパーマで虹色のメガネフレームの礼生が、ナツ先輩が描いたダンサーの画を美術展で見て気に入り、声をかけてきていました。
新はナツ先輩の助手としてくっついて行っていました。
この話で新は人物画を描こうとするのですが、「悲しみや希望や無念や様々な感情はあるけれど、微笑みがどの感情よりもほんのちょっとだけ多いような、そんな人物画を描きたい」と語っていました。
これは印象的な言葉でした。
悲しみや希望や無念や様々な感情はあるけれど、微笑みがどの感情よりもほんのちょっとだけ多いというのは、きっと温かみのある優しい表情になるのではと思います
「もういちど生まれる」の語り手は柏木梢。
椿は双子の姉です。
私は「普通に話せる」という感覚はとても難しいと思う。笑わせようとか、盛り上げようとか、沈黙が気まずいとか、そういうことを一切気にしなくていいような、心拍数の変動が全くないような「普通」の会話ができる相手って、きっと、すごく貴重だ。
冒頭からこの文が出てきて目に留まりました。
これはまさにそのとおりだと思います。
無理して笑わせたりせず、沈黙を恐れず、自然体で話せるような相手は本当に貴重だと思います。
梢は高田馬場駅の近くにある予備校に通っています。
二浪してしまい、予備校で20歳を迎えることになりました。
ちなみに一話目に出てきた風人と梢は幼馴染みで、風人は梢のことを「こっさん」と読んでいます。
こんな感じで、どの話も少しずつリンクしています。
例えばその話に出てきた友達の向こう側の日常が、次の話で描かれていたりします。
友達のこちら側の人から見れば向こう側は未知ですが、友達から見ればこちら側も向こう側も両方が日常となります。
梢は予備校の先生に片思いをしています。
妻子持ちとのことで、好きになってはいけない人を好きになってしまいました。
また、梢は椿のことを苦手にしていて、嫌っています。
梢はルックスにおいて自分より全てにおいて上回っている椿にコンプレックスを持っていて、この物語の最大のテーマでした。
19歳から20歳になるという、まるで水平線をまたぐような一歩を含んだ、人生に一度きりの夏
これもすごく印象的な言葉でした。
10代最後の夏というのは、特に意識するものだと思います。
「破りたかったもののすべて」の語り手は遥。
二話目に登場した「ハル」です。
遥はスクエア・ステップス東京校というダンスの専門学校に通っています。
二話目でのつっけんどんで自信がありそうな態度とは違い、実際の遥は才能の壁を前に行き詰まっていました。
同じクラスには有佐(ありさ)という圧倒的なダンスセンスの持ち主がいます。
遥はそれを見て敗北を感じています。
発表会のポジション決めに向けて一人で練習している時、「苦手なところを思いっきり練習できるのは、スタジオに誰もいない数分間だけだ」と胸中を語っている場面がありました。
これは弱味を見せられないということで、何となく分かります。
情けない姿を見せたくないのだと思います。
夜な夜な多くのダンサーが練習をしているという新宿駅西口近くにある大きなガラス張りのビルは、新宿モード学園コクーンタワーのことではないかと思いました。
ガラス張りのビルが夜になると大きな鏡のかたまりになるため、ダンサーに重宝されているようです。
遥もそこで練習をします。
翔多から見た「ダンスができるなんてすごい」な遥と、自身の限界に直面して挫折している遥のギャップが凄い、ちょっと切ない物語でした。
そして有佐はそんな遥のことも馬鹿にはせず、正面から声をかけてくれていて、遥との内面の差も描き出されていました。
遥がそれを受け止めて、自分なりのダンスで道を切り開いていってくれたら嬉しいなと思いました。
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