*小学校跡の施設に飾られていた赤鬼の面。
山陰、四国地方には赤鬼の伝承があります。石川県では聞いたことのなかった存在のものです。
・・高知県の言い伝えでは、明和3年(1776年)の大旱魃の年に岡内村(現・香美市)の次郎吉という男が、峯ノ川で牛鬼を目撃したという。また同県の民話では、ある村で家畜の牛が牛鬼に食い殺され、退治しようとした村人もまた食い殺されていたところへ、話を耳にした近森左近という武士が弓矢の一撃で退治した。村人たちは大喜びで、弓を引く真似をしながら左近の牛鬼退治の様子を話したといい、これが同県に伝わる百手祭の由来とされる。物部村市宇字程野(現・香美市)に伝わる話では、2-3間の深さのすり鉢状の穴に落ち抜け出せずに泣いている牛鬼を、屋地に住んでいる老婆が助け、それ以来牛鬼はその土地の者には祟りをしなかったという。・・(ネットより紹介)

今日は打ち合わせや視察、見学であちこちを移動しました。
四万十町十和では廃校となった小学校跡が再利用されている事例を
現地で案内していただきました。こちらの事務所に出入りしている学生が
この場所を利用しています。ここは一部宿泊施設となっていましたが
別の小学校跡では、地元やNPOの事務所として利用されていました。

*次に訪れたのは少し離れた中村市で自宅で喫茶を開かれた
お知り合いのお家です。とてもおしゃれな空間となっていました。
山陰、四国地方には赤鬼の伝承があります。石川県では聞いたことのなかった存在のものです。
・・高知県の言い伝えでは、明和3年(1776年)の大旱魃の年に岡内村(現・香美市)の次郎吉という男が、峯ノ川で牛鬼を目撃したという。また同県の民話では、ある村で家畜の牛が牛鬼に食い殺され、退治しようとした村人もまた食い殺されていたところへ、話を耳にした近森左近という武士が弓矢の一撃で退治した。村人たちは大喜びで、弓を引く真似をしながら左近の牛鬼退治の様子を話したといい、これが同県に伝わる百手祭の由来とされる。物部村市宇字程野(現・香美市)に伝わる話では、2-3間の深さのすり鉢状の穴に落ち抜け出せずに泣いている牛鬼を、屋地に住んでいる老婆が助け、それ以来牛鬼はその土地の者には祟りをしなかったという。・・(ネットより紹介)

今日は打ち合わせや視察、見学であちこちを移動しました。
四万十町十和では廃校となった小学校跡が再利用されている事例を
現地で案内していただきました。こちらの事務所に出入りしている学生が
この場所を利用しています。ここは一部宿泊施設となっていましたが
別の小学校跡では、地元やNPOの事務所として利用されていました。

*次に訪れたのは少し離れた中村市で自宅で喫茶を開かれた
お知り合いのお家です。とてもおしゃれな空間となっていました。