Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

母のこと

2023-08-20 12:08:52 | 近況

母の葬儀を昨日終えました。

実はつい最近8/1に、母の医師から子供達にも話したい私と弟も呼ばれて「年単位での生存はできないでしょう。月単位、しかも個人差があるのでいつまでかは言えません。」と言われたばかりでした。病院帰りに一家4人揃って何十年かぶりに外食をしました。母が数年前に友人に連れて来てもらったお店で、また行きたいと思っていたと話してくれました。お店を出てからはタクシーで帰るとばかり思っていたのに、母は30分くらいかけて家まで歩いて体調の良さに驚かされました。血液を作れない病気なので貧血のため15分の距離でも途中で休む必要があったのです。

8/10に母に電話をした時には、ちょうど通院で輸血をした日で、2ヶ月前くらいには輸血をすると多少楽になると言っていたので「よかったね」と言えたのが、苦しい感じは変わらないと言っててなんと言葉を返していいのか考えてると「生きるってことは容易でない」「苦しさは本人にしかわからないね」とも。

骨髄線維症に罹ってから20年以上経ってましたが、貧血のための倦怠感や息苦しさは初期からあったものの、ゆっくり動くなどして家事はやっていました。8/11午後に急遽入院するまでいつも通り洗濯や食事の支度をしていました。亡くなったのは13日朝3時33分ですのでたった1日半の入院生活でした。お盆のため葬儀が6日後となりました。

長女の私は現実に疎くボーッとしているのに引き換え長男の弟は仕事ができるので、がっくり肩を落としている喪主の父に代わり采配を振ってくれて感謝しきれません。私も図々しいことにもう少し現実対処能力があるかと思ってましたが、いや、全くダメと判明。

あれこれ届けや手続きも、これこそマイナンバーでまとめてくれよ!な多種多様があり、保険、年金、障害者(母は該当しない)などがなぜ死亡届を出しても連動しない?

母は無事に見送れましたが、残された高齢の父がひとり暮らしになったのでしばらくはケアが必要で、実家通いが続きます。

気丈な母のおかげで入院する日まで完全自立してくれていた両親なので、私もこれまで介護などなしに好き勝手なことができましたので、父のサポートくらいはしないとね。

 

 


孤独にも時代の流れ

2023-07-16 17:28:51 | 近況

先日、弥生美術館で見た「森本美由紀展」がきっかけで、彼女の行った美術学校「セツ・モードセミナー」と恩師である長沢節について本を3冊読んだ。森本美由紀も長沢節も、私がファッション情報に疎くなってから他界されていたことも知らなかった。本で長沢節は戦前からイラストレーターでデビューしていたことを知り、その年代ならば当然・・・と自分の浦島太郎ぶりにも呆れた。

森本美由紀のファッションイラストは女子の「なりたい自分」像ということで、可愛くてキレイでちょっと毒がある時もあって服がよく似合う、本当に自分がこんな顔だったらな、とかこんなに細長かったらな、とスルリと共感できるのに対して、長沢節の方は、その美意識を文章で読むととても頷けるし、彼の美意識の反映であるモードセミナーのホールや教室、自室の写真はこんな所に住みたい!と思わせるのに、肝心のファッションイラストと服のデザインの方は正直好みではないことがよく分かりました。

いちばん共感を覚えた彼の美意識は、骨っぽい手首足首、手と足への執着です。これは私も去年から絵を描き始めて気づいたのですが、腕や脚から先を描いていると時間を忘れて夢中になるのです。私の場合はあと骨格のキレイな顔が加わるのですが、スパークス兄弟は細身で顔の輪郭も好みなので、服から出た肌色の部分を描くと満足してしまい、服の部分は黒に至っては光を吸収して何も見えないのでもうどうでもよくその通りに黒く塗りつぶしておしまいです!

ということで彼のイラストも手足は好きなんですが、彼は顔への執着はあまりなかったのか、森本美由紀はファッションイラストでも顔まで可愛かったのに、長沢節の顔の好みは理解不能。彼が敬愛したマルセル・ヴェルテスの描く顔はもっと時代が遡るのにカワイイのに。

ところで彼は1961年にパリのオートクチュールを見た初の日本人らしいのですが、パリには自分と同じ孤独な大人が大勢いるので居心地がいいと書いていて、そういう人でサンジェルマンのドゥ・マゴやル・フルールはいっぱいになるので席を見つけるのに一苦労、ということが書いてありました。それを読んで・・・おや?スパークスが新曲「ザ・ガール・イズ・クライング・イン・ハー・ラッテ」で提示した光景が浮かびました。カフェではひとりラッテを飲みながら泣いてる人が常にいる・・・これは社会が何かおかしいのでは?という歌詞です。

長沢節は孤独を愛し生涯独身を通した人なので、同類、しかもサンジェルマンの有名なカフェとなればそこに座ってるだけでも孤独だけど満ち足りた人生を送っている人に見える・・・たとえ泣いているかも知れなくても。それから何10年か経過、スパークスだって独身かどうかは謎だけど自由人だし、パリも大好きだしオシャレさんだし、だけど「孤独な社会」を問題視して多くの人が共感するというのは、時代の価値観なのでしょうか。

20世紀にはプライバシーのない村文化に対抗する都市文化が定着して、自由で孤独な都会生活がクリエイティブな人には理想、というのが暗黙の了解だった気がします。が、ミレニアムを迎え、かつてはおしゃれ圏外だった健康志向とか環境問題、人権問題、メンタルヘルスなどが逆に最先端に。1960~70年代には喫煙はクールなことで、オードリー・ヘプバーンがオートクチュールを見ながらバレンシアガのサロンのカーペットに吸い殻を落としても誰も気にしない時代だったと長沢節が書いていたのも、価値観の変化がよくわかるエピソードです。

21世紀も1/5が過ぎ、自由は普通になり人間関係の重さが減ったけど、それでも孤独にひとりカフェで泣く予定じゃなかった、ということ?


スペルの間違い事件

2023-07-14 18:36:39 | スパークス

上の絵はタイトルとは関係なく、時系列で置いておきました。北米ツアー中のスパークスの、ミルウォーキーでの写真をロンドンで会ったアメリカ人のファンの方がupしてくれてたのがあまりに可愛くて・・・っとオジ(イ)サンふたりをカワイイ、カワイイって他に形容詞がないんでしょうかね。

さてタイトルの、事件を引き起こしたのは下の絵です。

元写真は、テキサスのステーキ屋さんの、顔の穴に顔を出して撮るカキワリ写真で、特大ステーキをモリモリ食べるカウボーイの絵に顔を出すロンとラッセル。しかし2人はベジタリアンだからヤラセの写真見え見え、でもカウボーイハットはカワイイので「ええい!キャロットラペを食べさせちゃえ!(パリのスーパーで種類豊富なキャロットラペを買ったと何かのインタビューで言っていた)」と、このような図に。

しかしですね、問題はキャロット・ラペのスペルでして、ググったら出てきたCarrot Lapeっていうのを書き込んでネットにアップしたんです。そしたら即❤️を下さった方々の中に、上のようにCarottes Rapeesとコメントがあって、それを見た瞬間に「間違えたんだ!!!」と恥ずかしさに飛び上がってアップした投稿を削除してLapeをrapeに直して謝罪の言葉とともにアップし直したんです。この段階でめちゃ焦ってますので、ググってRapeというのが出てきたんで速攻で作業したんですね。その後、やれやれと安心する暇もなく、英語でもフランス語のCarottes Rapeesを使うのが本当だとわかったんですが、せっかく謝って投稿し直したのにまた差し替えるのは❤️や「カワイイ!」というコメントを下さった方に申し訳ないからもう不完全でもいいやー、どうせ私はネイティブじゃないしさ〜って一度開き直りました。

ところが問題はrapeが英語だとレイプだということにまたコメントで気がつきました・・・これは単なる間違いではなく最悪の間違い・・・外国人がヘンな日本語使うとカワイイよね、とか思うのとは違うレベルでの間違い・・・直さないと私が恥ずかしいだけでなくスパークスに失礼なんではないかと思い直し、またまた描き直して、今度は2度目のは削除しないでアップしました。

大体が好意的なコメントで攻撃されるということはありませんでした。スパークスファンコミュニティの良心に救われましたが、3度目の正直のをupした時は流石にウザいだろうなあと「この投稿に反応は不要です。ただ過去の投稿はこうあるべきだったとお知らせまで」とだけコメントして。でも複数の方がまた❤️や👍をしてくれて、ありがたいなああ〜〜〜とやっぱり恥を忍んで3回投稿して良かったと思いました。

しかしググって出てきたLapeとかRapeとか各1ページまるまるそれで埋まってるんですよ!世界中に違う書き方をする人がいるんだ・・・それはその国では間違いではないのか???不明ですけどとにかく創作で英語(フランス語)を使うときはググっても裏をしっかり取らないと危険なんですね。世界中に赤恥かいて学習してしまいました。

 

 


初めてのプンシュクラプフェン

2023-07-13 19:41:12 | たべもの

職場で会う女性がウィーンとレーゲンスブルクに旅行されました。少し前に私がイギリスに行ってたことはその別会社の方々にも知れ渡っていたのか、それともコロナ後の海外旅行、しかもその方50年ぶりに昔のお友達と連絡がついてオペレッタを見るのと旧友に再会するので舞い上がったのか、私に50年前のドイツ人美青年のお写真と現在のおじいさんのお写真まで見せて楽しそうに語ってくれたので、その翌日、図々しいとは承知ながら、かねてから食べてみたかったウィーンのお菓子「プンシュクラプフェン」を買ってきてください、とお願いしたのでした。

途中、ドイツ人さんにそのお菓子名を言ったら「それは生菓子だから日本に持っていけない。他に買ってきて欲しいものがあったら教えて」と言われたことを職場で仲のよい別の方を通して通告され、あわや諦めそうになりましたが、ウィーン通のhedgehogさんの情報で日持ちするバージョンがスーパーにあるということをしつこくウィーンにまで伝書していただき数日後・・・

ジャン!

「これでいいのかよくわからない」と渡されましたが、書いてあるじゃないですか!プンシュナントイカカントカって・・・!

早速、イギリスから買ってきたこれまた大好きなバッテンバーグと並べてみると

ああ、なんて色合いがぴったりなの?!

中はねっちりとアルコールが沁みたスポンジが固まったような、リキュールと砂糖の隙間を少量の小麦粉が埋めているような感触でした。

これが夢にまで見たピンク色のお菓子・・・と感動しながらパクパクと喉を通らせながら、これが日持ちのしない生菓子だったら、どんなものなんだろう・・・と野望が湧いてきて、せめて東京のドイツ/ウィーン菓子店だけでも総浚いせねばならん・・・とまた人生の目標ができました。

 

 

 

 


ワム!

2023-07-11 21:13:07 | その他の映画・ドラマ・舞台

ネットフリックスで80年代に活躍したデュオ「ワム!」のドキュメンタリーを見ました。と言っても私はまったくワム!のファンだったことはなく、80年代前半のヒットチャートにいつも入っていて、イギリスのティーン音楽誌(とじこみで人気ミュージシャンのポスターがついていた)にもよく出ていたので知っていた程度。後にジョージ・マイケルがソロとしても人気があったようですが、私はもう1人のアンドリューの方が見た目で好きだったくらいです。

ですのでメンバーのジョージとアンドリューが子供の頃からの親友で、当時はジョージはギリシャの名前で学校では浮いていて、アンドリューが逆に目出す存在だったことはもちろん初めて知りました。2人はルックスも人気がありましたがドキュメンタリーを見て2人ともエキゾチックな顔立ちだったんだ、と思いましたがジョージはギリシャ人の父、アンドリューはイタリア人の父が、そして2人ともママがイギリス人なのだそうです。

ワム!の曲はめちゃ明るいのが印象として強く、ケアレス・ウィスパーなど日本でも西城秀樹がカバーしたらしいスローな曲に至ってはキャッチーで忘れられないけどオルタナ系の暗い音が好きだった当時の私にはアイドルにしか見えず、曲のタイトルやサビが巨大ロゴで入った衣装などふざけているとしか見えなかったです。でもそれが今見るとエルトン・ジョンも絶賛というのも頷け、あのダサいロゴとスポーツアイテムのステージ衣装も2023年の若者ファッションで繰り返されているのでなかなか可愛く見えてしまいました。

ドキュメンタリーで初めて知ったのは初期の彼らの作品は政治的だったということ。それがイギリスの評論家には受けていたよう。それとジョージ・マイケルって歌のうまさも後年になってフレディ・マーキュリー・トリビュートコンサートで知ったくらいですが、彼の音楽にかける熱意は、当時まだゲイをカミングアウトするのは社会的にもキャリア的にも困難だった時代に自分を偽るマイナスのエネルギーをクリエイティブなエネルギーに昇華して生まれたものだったんだと知りました。しかし彼に熱意があったこと、作曲やプロデュースの才能があったことも知らなかった私。

ワム!の活動期間はわずか4年ほどと短かったにもかかわらず「ラスト・クリスマス」はクリスマスの定番曲となっているし存在感は大きい2人のバンドを始めた時から解散までを本人の声で語った「ワム!とはなんだったのか」がわかる良いドキュメンタリーでした。