母の葬儀を昨日終えました。
実はつい最近8/1に、母の医師から子供達にも話したい私と弟も呼ばれて「年単位での生存はできないでしょう。月単位、しかも個人差があるのでいつまでかは言えません。」と言われたばかりでした。病院帰りに一家4人揃って何十年かぶりに外食をしました。母が数年前に友人に連れて来てもらったお店で、また行きたいと思っていたと話してくれました。お店を出てからはタクシーで帰るとばかり思っていたのに、母は30分くらいかけて家まで歩いて体調の良さに驚かされました。血液を作れない病気なので貧血のため15分の距離でも途中で休む必要があったのです。
8/10に母に電話をした時には、ちょうど通院で輸血をした日で、2ヶ月前くらいには輸血をすると多少楽になると言っていたので「よかったね」と言えたのが、苦しい感じは変わらないと言っててなんと言葉を返していいのか考えてると「生きるってことは容易でない」「苦しさは本人にしかわからないね」とも。
骨髄線維症に罹ってから20年以上経ってましたが、貧血のための倦怠感や息苦しさは初期からあったものの、ゆっくり動くなどして家事はやっていました。8/11午後に急遽入院するまでいつも通り洗濯や食事の支度をしていました。亡くなったのは13日朝3時33分ですのでたった1日半の入院生活でした。お盆のため葬儀が6日後となりました。
長女の私は現実に疎くボーッとしているのに引き換え長男の弟は仕事ができるので、がっくり肩を落としている喪主の父に代わり采配を振ってくれて感謝しきれません。私も図々しいことにもう少し現実対処能力があるかと思ってましたが、いや、全くダメと判明。
あれこれ届けや手続きも、これこそマイナンバーでまとめてくれよ!な多種多様があり、保険、年金、障害者(母は該当しない)などがなぜ死亡届を出しても連動しない?
母は無事に見送れましたが、残された高齢の父がひとり暮らしになったのでしばらくはケアが必要で、実家通いが続きます。
気丈な母のおかげで入院する日まで完全自立してくれていた両親なので、私もこれまで介護などなしに好き勝手なことができましたので、父のサポートくらいはしないとね。