昨日からロンドンで始まった舞台「バッカイ」、これから色々ご覧になった方の感想などネットに出て来るのでしょうね。探して読みたいような、先入観を持ちたくないので逃げ切ろうか、迷うところです。たぶん、逃げ切れなくて何かは見てしまうような気がします。
原作本(岩波文庫:バッカイーバッコスに憑かれた女たちーエウリーピデース作/逸身喜一郎訳)を読み終わりました。実は本編はとても短い戯曲です。しかしなんといっても紀元前5世紀という古いものです。岩波文庫の訳者解説によると、口承による作品を後世に文字化し、印刷がない時代、写本によって受け継がれる途中に、写本ミスや脱落があり完成形は存在しないとのこと。そのような学術的な解説と、文化的背景の説明、ギリシャ神話の補足などの解説が本編以上に収録されていました。
まず感心したのは、これは古代ギリシャの市民集会で催された演劇なのですが、話はギリシャ神話と繋がっていて、もはや神話なのか、当時の現代劇なのか私にはわからない点です。キリスト教徒にとっての聖書のように、ギリシャ神話が古代ギリシャ人の生活には身近な事実として存在していたらしいことなのです。この辺は日本人にとって、夏の盆にはご先祖様が帰って来るから火を燃やしたり川流しをする感覚に近いと思います。神話と宗教と生活にはボーダーラインがなくとけ込んでいる感じです。
「バッカイ」の主役のひとりディオニューソスは、ゼウスと人間の女性セメレーの子です。ハーフだけど、一応神様にカウントされています。(オリンポスの12神にカッコつきで加えられたりしています)この「一応」というところがストーリーのポイントでもあります。純血種でなくてもの全知全能の神の息子だからでしょうか。
ディオニューソスの従兄弟にあたるペンテウス(人間)は、小国の支配者ですが、彼にとって叔母の子がゼウスによって身ごもったと認めなかったため、ディオニューソスは復讐し(バッコス)の信者の女性群=バッカイによって、しかも首謀者はペンテウス自身の母によって殺されてしまうという話です。
本編&解説を読むに連れ、よくもベン・ウィショーをこのディオニューソスにしてくれました、と製作者に感謝の気持ちがこみ上げて来ます。
ペンテウスによるデォニューソスの描写はこうです。(p57)
「おい外国人、おまえはなかなかきれいなからだをしているではないか。
少なくとも女の目には。(略)
髪の毛はこんなに伸びて、色気たっぷりに頬にまでかかっている。レスリングができないからだ。
肌は白い。さぞかし着る物に気を遣って、
太陽の光を浴びず、日陰の中をこそこそと、その美しさにものをいわせ、
アフロディーテー狩りにいそしんでいるのだろう。」
リハでロングヘアのかつらをつけたウィショーさんの写真がツィッターにアップされていましたが、この描写に合わせてあるではないですか。
この上演ニュースには、「現代的な解釈」とあったので、時代も現代で、それでキャンペーンのウィショーさん写真も衣装は今の服なのかと思っていました。
でもリハの写真には杖も使われて、バッカイ達は花輪を被っているし、これは古代ギリシャが舞台のままなの?と思い直させられます。
ディオニューソスは子鹿の毛皮をまとっている
右から2番目がディオニューソス、その右が母のセメレー、左が父のゼウスに見えます
リハーサルの杖
バッカイとは、ディオニューソスの神の力によってとりつかれた女性達とのことですが、ウィショーさんという俳優とそのファンの図を思い起こさせます。
ディオニューソスは、この戯曲のみならず文芸作品の中で、女のような弱々しい若者として描かれ、オリンピック発祥の地であることでわかるように、スポーツやマッチョが男の理想とされた文化で、その権化のようなペンテウスを操ってしまいます。著者による当時のメジャー文化への戒めのように感じます。そして、美しく弱く見えて力がある半神・・・ああ、ウィショーさん!
それから、気になる不思議なエピソードがまだあります。
ディオニューソスは、ゼウスが雷を伴ってやって来たので母が産気づいて彼を早産し、母は稲妻に撃たれたため亡くなります。雷の炎からゼウスは子供を救い、妻ヘーラーの嫉妬を恐れて自らの股に隠して、月が満ちた時にもう一度産んだというのです。
このことを、解説者は、「ひょっとすると同性愛の暗示」(p195)と言っています。確かに全能の神たるものが、未熟児を股に入れて育て、やがて男が出産するとは不思議すぎるではありませんか。
このように不思議な魅力に溢れた原作を、どう現代的な解釈でどんなウィショー神を見せてくれるのか、楽しみで仕方ありません。