ずっと探していた、「大西さんの葉山の部屋」が掲載された1992年の雑誌ananをオークションで発見しました。私も午前中からの取材のために前日からこのマンションに泊まったので印象深い仕事でした。
大西さんはインテリアが大好きで、ここ以外の住まいもファッション雑誌に掲載されていました。私が見せてもらったどの住まいもキチンとしていました。不要な物を徹底して排除していたのだと思います。好きな物をたくさん集めても、全体像に合わないものは、そこにありませんでした。女性は全体よりも個々の物に愛着を感じて、部屋に物が溢れてしまいますが、大西さんの潔さは男性的なセンスだなと思っていました。
写真はクリックで拡大します
22年前の雑誌状況は、まだオンラインもなかったので、記録として残ってません。
私のごった煮ブログで申し訳ないですが、興味のある方が見つけてくれたら嬉しいです。
私が退職した時は、大西さんもその会社との契約を終えた時だったのですが、大西さんのデザイナーとしてのキャリアが始まった「キャトルセゾン」というブランドからの数年に渡るプレス資料(雑誌などのスクラップ、カタログ、ショー記録、ノベルティなど)はプレスルームに残されました。その後、デザイナーの不在でそれらがどこへ行ったのかが気がかりです。どこかに無事に保管され、アーカイブとしてデジタル保存されることを願っています。
大西さんはインテリアが大好きで、ここ以外の住まいもファッション雑誌に掲載されていました。私が見せてもらったどの住まいもキチンとしていました。不要な物を徹底して排除していたのだと思います。好きな物をたくさん集めても、全体像に合わないものは、そこにありませんでした。女性は全体よりも個々の物に愛着を感じて、部屋に物が溢れてしまいますが、大西さんの潔さは男性的なセンスだなと思っていました。
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22年前の雑誌状況は、まだオンラインもなかったので、記録として残ってません。
私のごった煮ブログで申し訳ないですが、興味のある方が見つけてくれたら嬉しいです。
私が退職した時は、大西さんもその会社との契約を終えた時だったのですが、大西さんのデザイナーとしてのキャリアが始まった「キャトルセゾン」というブランドからの数年に渡るプレス資料(雑誌などのスクラップ、カタログ、ショー記録、ノベルティなど)はプレスルームに残されました。その後、デザイナーの不在でそれらがどこへ行ったのかが気がかりです。どこかに無事に保管され、アーカイブとしてデジタル保存されることを願っています。