ダイニング・ウィズ・ワイン そむりえ亭

料理にワインを
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 樋口誠

ステレオタイプ、ではなく・・・・

2015年04月10日 02時08分34秒 | ワインの事
私がソムリエを始めた1980年台は、おそらく樽熟成したシャルドネや「果実味」と言う言葉で括られるカベルネの全盛期だったかもしれません。

それはそれで人気が高く、その頃のお客様は「忘れられない味わい」と好んでいらっしゃたと記憶しています。

赤に関しても若いうちから「丸いタンニン」を持ち素直に美味しいと言えるものでした。


しかし、ある時期=1990年台半ばころからでしょうか?

「シャルドネが消えた夏」なんて言う特集がワインの専門誌で出たり、「Too Oaky」=樽が効き過ぎ、的な表現が増えてきます。

確かに無理やり樽を効かせた、或いはオーク材のスティック的なものを樽中に差し込んだり、チップを入れたり、或いはステンレス醗酵のワインに後から樽を使ったりして、樽が強調され過ぎた感は否めないのだろうとも思います。

その後、そのスタイルはニューワールドから聖地フランスに戻ってきた様なイメージも持っています。


赤でも「新樽200%男」などと揶揄されたドミニクローランのワインは果たして「樽風味が倍」だったか?と言えばそうではなく結構柔らかな味わいでした。


オーキーと呼ばれたワインは果実=原料葡萄とのバランスの悪い作りだったのです。

事実、偉大な生産者のそれは「Too Oaky」に感じる事はありませんでした。


さて最近では「冷涼な」とか「酸が綺麗」「優しい」とか「繊細な」、或いは「ミネラルにあふれ」などの形容詞にひっぱっれている様に見受けられます。

それでいいんでしょうか?

「下手な樽風味」はいらないし「過熟した甘すぎる果実味」もちょっと残念なことがあります。

しかし「しっかりしたボディ」も「香ばしい豊かな樽熟成由来の香り」「つまったタンニン」も私にとっては必要な要素です。


「ロバートパーカー(著名なワインジャーナリスト)が悪い」と犯人捜しをするように樽を否定していると、むしろそれがワインの「優等生化」を招きます。

ガツンと樽が聞いたワイン、しっかりした果実味のワイン、酸の綺麗なワイン、冷涼なワイン・・・・

そういった幅があるからワインは面白いし、ソムリエの出番もあります。



「ステレオタイプにならない」が私の目指すところです。

               樋口誠