つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

収穫

2011年06月12日 | 日記

山菜の時期はもう終わりだと思いながらも、どうしてももう一度行きたくて、行きたくて・・・。

熊が住宅地に出たというニュースを聞き、熊よけ鈴を買ってきた。お値段2000円。その店では最後の一つだった。やっぱり皆さん必要を感じたんだろうなあ・・・。買ってきた鈴や虫よけスプレーをこれ見よがしにテーブルの上に置いて、旦那にアピール。

いろいろ仕事が重なって、やっと昨日出かけることができた。

山は蝉の大合唱だった。家を出るときにうるさかった熊よけ鈴が、蝉の声に消されてしまう。5月末よりも明らかに緑が深くなり、虫たちが元気よく活動していた。初めて小さな蛇とも遭遇した。ああ、これだけでいいと思う。この季節になると、山菜とりに山に入ったお年寄りが下山せず捜索されるというニュースを毎日のように聞く。人に迷惑をかけて仕方がないなあと思うが、反面、山菜とりに山に入って気持ちがいいなあと感じ、その挙句に最期を迎えたとしたら、それは私にとっては一番幸せな寿命の尽き方のように考えている。

旦那さんは「地図を読める男」山菜とりの山歩きでも、道標無き道をああでもないこうでもないと進んでいく。状況の判断も早く、山菜に関してあきらめるのも早い。あれは、やっぱり頭がいいからだと思う。私は自分の記憶の断片を探りながら道を進み、山菜が見つからなくてもあきらめる気持などさらさら湧いてこない。ここになくても、あるところまでいけばいいと考える。そんな二人が歩くから、本当に漫才だ。それでも、この山歩きの間、旦那と二人ああでもないこうでもないと話すのが楽しい。以外に都会っ子の旦那が虫におののく姿も見ものだし、花の名前にうといから頓珍漢な名前を言って指差す姿も面白い。私も決してくわしいわけではない。スズランやこぶしはわかる程度だが、そんなほんの少しばっかりの優越感でも、旦那に勝っているという事実が嬉しい。


4時間近くを歩き回り、収穫はご覧の通り。一つかみの蕨、一抱えのササノコ、一つかみの山ウド。
蕨はあく抜きをしてお浸しに、ササノコはゆがいて筍ごはんとみそ汁に、ウドはやっぱりてんぷらかなあ。十分な成果だった。

山から下りたら、末っ子のお友達のお母さんからメールが届いていた。
「“ヨサコイ”を観に行かない?」家の近くのスーパーの駐車場を会場に行われている。

 

20年前に始まった時には、こんな大きな祭りになるとは思わなかった。今では、札幌市内の小学校の運動会で行われる表現演技は、ほとんどがこの“ヨサコイ”だろう。わが子が世話になった小学校では上の子どもたちの時には、学年単位でいろいろな表現に取り組まれていたが、いつ頃からだったか、全校表現として“ヨサコイ”をやるようになった。指導の成り立ちとして、上級生が下級生にふりを教えるということが行われるため、毎年ほぼ同じ“ヨサコイ”を見た。そうなると小学校歴が長くなった私などは、昔昔に5.6年生が取り組んでくれた組み体操や、1・2年生がみせてくれた一生懸命の縄跳びの姿を懐かしく思った。

ただ“ヨサコイ”には稚内南中学校に代表されるように、荒れてしまった子どもたちの心を癒す力がある。そういう良さを維持してほしいと願っている。このごろ、どうも大人の事情を優先しているようなところが感じてしまうのが哀しい。

“ヨサコイ”も今日で終わる。次は北海道神宮のお祭り、盆踊りに続き、大通りではビアガーデンが行われる。私はそれが大いに楽しみ!

 

コメント (2)
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