都会のようで都会でない札幌の新聞では、お悔やみ欄というのがある。
毎日1頁を埋め尽くすように、時にそれ以上の方の訃報が載っている。
続けて、知ったお名前を見つけた。
どちらも以前の家の同じ町内に住まわれていた方だ。
お一人は高齢で年に不足はないが、元気で暮らしていると噂を聞いたばかりだった。
ゆっくりと町内を散歩していた様子を思い出しながら、
穏やかに人生を終えられたのではないかと想像している。
もう一方はびっくりした。
前に住んでいた家はとても古い家で、暮らすのに大変な苦労が入った。
まして北海道の暮らしなどしたことがない私にとって、それは生半可なものではなかった。
初めてづくしの中で、隣近所のつきあいが色濃く残っている地域での生活は、
緊張を強いられるもので、今振り返るとよく我慢したと自分を感心する。
中通りからさらに小路を入った奥まった場所にあったその家の、
入口に住まわれていたのが、今回亡くなられた奥さん一家だった。
うちの旦那より一つしか違わず、明るくて陽気で、からからとよく笑い、情が深くて面倒見がとてもよかった。
たまたま隣に住んでいた、それだけでよく気にしてくださった。
あの人がいたから、町内になじめたのだと思う。
古いあの町内会も今はもうない。 地上げにあった。
お互いをいたわりあって暮らしていた人たちは、あの時ばらばらになった。
お通夜に旦那と二人参列させてもらったら、どちらにも、
あの頃の町内の方をそこここに見つけることができた。
「うちは一匹いるから、あんたんとこで飼わない?」
不用心だからとそのお宅で飼っていたビーグルの血の混じった犬が、いつも玄関前につながれていた。
あるとき犬の姿が二つになった。似たような犬だったので、増やしたんだと思った。
うちの子どもたちはたいそううらやましがった。
ところが聞いてみると、どこかのふとどき者が捨てていった犬だったようだ。
しばらく周辺をうろついてから、隣の犬のそばに座っているようになったという。
「ほおりだすのもかわいそうだから、ご飯はやっているんだけれど・・・」と明るかった。
うちの旦那の後ろで次女が目を輝かせた。
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そんな、こんな、いろいろな思いが巡って涙があふれた。
ありがとうございました。 合掌