殿様のように運んでくれたJALさん。
もう一つ感じる出来事があった。
乗るとき同様に、それぞれのやり方で下りたのだが、
何しろ天井が高く、通路が広いから、多少乗客が無茶をしてもそう小競り合いが起こらない。
人はぶつからなければそうそう腹を立てることがないということなんだろう。
いつもの某航空会社であれば経験できなかったことは、
預けた荷物を引き取るターンテーブルで待っているときに遭遇した。
新千歳空港のその場所は、ガラス張りで、迎えに来た人が中の様子を見ることができるようになっている。
そこにカメラを持った人が結構な人数、中をのぞいていたのだ。
商売にしているだろうと思われる人もいれば、
デジカメやスマホを握りしめている人もいた。
だれか乗っていたのかな?
前のほうにあるファーストシートやらなんちゃらシートに座っている人に、
そんな感じの人はいなかったと思ったのだが、
ふううううん、
そうだよなあやっぱりそういう人はJALさんだよなあ…と思った。
大きなカメラを持って、それが商売の人はいいのだ。
目が合うとすっと場所を移動する。
厄介なのが素人と思われる輩!
ガラスにべったりスマホを張り付けて、どうやら録画をしている。
なめるように中をずっと録画している。
失礼の極みだと思うので、スタッフにクレームを入れようかと思った。
その時に何かがあってその流れにその嫌な奴はどこかに消えた。
私は、テレビや新聞に採用される「視聴者提供」「読者提供」というのに反感を持っている。
情報というのは、
その場の判断と、向き合う覚悟と、発表した責任が伴うものだと考えるからだ。
視聴者提供、読者提供というのは、
たまたま出くわした善意の第三者というスタンスだから、
だれも何にも考えていないし、責任も取ろうなんて思ってもいない。
本当にたまたまその場に居合わせて、というだけならいいのだが、
この頃の視聴者投稿の中には「これでテレビに取り上げられる」という腹積もりが
感じられてしまうものがある。
責任は取り上げる側にあると思う。
テレビ局や新聞社がそれなりのことを考えてそのうえで取り上げているならともかく、
この頃のテレビ局の映像から、そんな信念のようなものは何も感じられない。
だから嫌いだ。
八雲町で、
そういう輩が向けたスマホが原因で、トドの赤ちゃんが置き去りになっている。
トドは有害獣だから保護のすべもないそうだ。
死んじゃうぞ、あの子!
どうするんだよおお!!
情報を発信するために取材するというのは、
そういう責任をいつも感じていなければいけないと私は思う。
だから素人がのりで手を出していいものでは決してない。
ああ、本当にあのガラス張り付いていた男、いやらしかった!!
私がいつも使う某航空会社ではこういうことは絶対ないから、
それはそれで、むやみに嫌な思いをせずに済む・・・安心!
今日もそれで東京に向かう。
*今朝のニュースでトドの赤ちゃんが死んでしまったと報じていた。
残念、無念。トドの子に生まれながらにあった寿命のあまりの短さに、
同じ親として思う気持ちがある。