酒酒楽楽

酒店のオバちゃんが、商工会活動や家族のことなどをマイペースで綴っていきます。

あの日あの時(昭和60年)

2010-05-01 12:27:50 | 家族

     花桃(撮影:2010.4.30)


5月10日は、義父の13回忌なので、連休に入る前の28日に13回忌法要を済ませた。
ここで、義父が元気に活躍していた頃の昭和60年の出来事を振り返ってみることにした。

3月31日の朝、2歳の娘の泣き声に異変。と同時に少々のおう吐あり。
大きなバッグにおむつを詰め込み、義父に送ってもらい、市内でも有数のK小児科医院へ飛び込んだ。


只今満開のSさんちのしだれ桜(撮影:2010.4.29)


案の定、初めての入院。
ベッドに横たわって数本の点滴。娘はおとなしかったが、隣の男の子が大声で泣いている。

検査の結果、『腸重積の疑いあり』ということになり、近くの綜合病院へ転院。

診察室から娘の大きな泣き声が漏れてくるたび、
「1月に子供を亡くしたばかりの私が、何故又こんな切ない思いをしなければならないのか?代わってあげられるものなら・・・」
この時ほど生きた心地のしない時はなかった。


で、結局、腸重積症ではなく単なる“べんぴ”であることが判り、
夜中に何度もおむつを替えて・・・白いものがいっぱい。バリュームだ。
熱にうなされていた娘が、「おかあさん」と一言発した時には心底ホッとした。
小児科病棟の小さいベッドに2泊して家に帰ってきた。




4月2日、退院して家に戻ってくると、すれ違いに義母が入院。
1月頃から体調がすぐれなかった義母、孫のことで心配が重なったのだろう。
知らず知らずのうちに、様態が悪化していたのだ。

翌日から、家事と育児と商売とさらに義母の元へ病院通いが始まった。
JAの理事長選挙目前のその頃、理事をしていた義父のもとへも来客、電話が殺到し、
我が家は、四六時中てんてこ舞い。

そんな中、義父の叙勲のしらせが舞い込み、ますます慌ただしくなった。

          
                 恩師の故W先生から戴いた色紙


皇居での授賞式には夫婦同伴で参列しなければならない。
その上、服装は男性が黒のスーツ(だったかな?)、女性は“色留袖”と指定されている。

入院中の義母を連れ出し、駅前○武デパートの着物売り場へ直行。
着物、帯、草履にバッグその他細々としたものを、上京する前日までに届けてもらう約束をして病院へ戻る。

と、そんなわけで完全に快復しないまま授賞式に出席した義母、写真を見ると顔が浮腫んでいて別人のような顔つきに写っている。

その後、親戚が開いてくれた祝賀会(於:竜宮城)と地区の盛大な祝賀会(於:区民会館)などなど、
不幸せなことの後には、必ずこのような素晴らしいこともありなのだ。


     国道沿いの花桃(撮影:2010.4.29)


宇津峰祭りと宇津峰登山大会のこの日、靄のかかった朝を迎えた。
幸い、祭りも登山大会も予定通りに決行、雨が降り出す前に、ほとんどが山を下りてきたようだ。

この日、春の叙勲の栄誉に輝いた方々の“声”と写真が新聞紙上に掲載され、
我が地区でも、親しくさせていただいたりお世話になっている二人の先輩が受賞。
この快挙は、同じ地区民としても大変喜ばしいことである。




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