文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

新興国で口頭約束は禁物…日経新6月27日25面より

2011年07月06日 12時28分57秒 | 日記
グローバル法務リスクに立ち向かう
多様性を支える法律
     
青山学院大学教授 榊原 英資氏

さかきばら・えいすけ 東大経卒、1965年大蔵省入省。米ミシガン大学で経済学博士号取得。 97年財務官。 99年に大蔵省を退官。慶大教授、早大教授を経て、2010年4月から現職。

文中黒字化は芥川。

東日本大震災による日本経済の停滞は、どのくらい続くのだろうか。私は中期的に続くのではないかと危惧している。今夏の電力不足が問題になっているが、電力不足が3~4年と続くことも予測されるからだ。

もともと震災がなかったとしても、日本経済は高成長を望める状態ではなかった。日本企業は新興国に出ることが絶対的に必要になる。中国、インドなどにいかに出ていくかが、大きな課題になってきているわけだ。

今や日本企業にとって運営のグローバル化かとても重要だ。日本企業は技術レベルは高いが、韓国や中国と比べてもグローバル化では一歩遅れている気がする。

最近よくインドに行くが、電化製品の7割近くが韓国のサムスンかLG。アフリカなどにも韓国、中国の企業はかなり出ているが、日本企業は必ずしも成功していない。

我々はあまり意識していないが、日本はいい意味でも悪い意味でも特殊な国だ。外国に征服されたことがなく、長い間、平和を維持できてきた。逆にいえば、グローバル化という点では不利な面を持つ。

そこでインドの話をしたい。インドの人口は現在の11億人強が2050年に16億人まで増えるといわれる。中国は13億人が14億人とそれほど増えないから2020年ごろには中国を逆転する。経済成長も最近は8%、9%まで加速しており、高成長を保ちそうだ。

そのインドは日本とちょうど逆に極端な国だ。宗教的にも民族的にも言語的にも極めて多様だ。インドのルピー紙幣は17の言語で書いてある。表は英語とヒンズー語、裏には15の州のそれぞれの言葉で書いてある。
 インド人は自己主張が強く、本当によくしゃべる。多様な国だから自分がどこの出身で、どう考えているのかを常に言わないといけないからだ。ある時、私か呼んだハイヤーが30分遅れた。運転手に苦情を言ったら30分間、言い訳を続けていたほどだ。

インド人は自己主張が強い一方、他人に干渉しない。インド人が冷たいとかではなく、非常に多様だから、自分とは違う人に干渉しないということが徹底している。
日本企業がインドに進出して、インド人に働いてもらうのは非常に難しい。インド人が「ノーと言わないからと思って(日本人が)それでよかったと思っていると、全然大丈夫ではなかったりする。

多様性に富む国だから、最後のよりどころは法律になる。インドは極めて法律に神経質な面を持っている。契約する時にはとても気を付けなければならない。口頭で約束しても有効ではない。常に専門の弁護士を間に入れて、法的にチェックしておく必要がある。

日本では、よほどのことがないと契約書は端から端まで読むことはない。しかしインドでは端から端まで読まないとダメだ。インドをはじめとする新興国でビジネスをやるなら、グローバルな法的センスを持たなければいけない。企業にとって新興国との付き合いがこれからは本当に大切になるだろう。



持続可能性とは何なのか…7/6号、ニューズウイークから。

2011年07月06日 07時41分54秒 | 日記
ビョルン・ロンボルグ(統計学者)(筆者はコペンハーゲン環境評価研究所所長で、『環境危機をあおってはいけないI地球環境のホントの実態』の著者)  文中黒字化と*は芥川。

前章からの続き。

いま流行の「持続可能性」も、こうした疑問が議論の出発点になっている。
 
先進国は限りある地球の資源を貪欲に貪った。今の生活スタイルを変えなければ、近いうちに悲惨な結果を招くー環境保護派はそう警鐘を鳴らす。
 
今ではあらゆる場所でこの手の主張を耳にする。今の生活スタイルは利己的で持続可能ではない。森林を伐採し、水と大気を汚し、動植物を殺し、オゾン屑を破壊し、化石燃料を大量消費して気温の上昇を招き、「壊れた地球」を未来の世代に残そうとしている……。
 
つまり、このままでは人類に未来はないというわけだ。

 
思わずうなずきたくなる主張だが、根本的に間違っている

そしてその影響は甚大だ。環境問題を大げさに騒ぎ立て、多くの人々がそれをうのみにすれば、より賢明な環境対策を追究する努力を妨げかねない。
 
かつての欧米諸国は大量の鯨油を消費したが、鯨が絶滅しなかったのはなぜか。鯨油の需要増大と価格上昇を受けて、19世紀版の代替エネルギー開発に多額の投資が行われたからだ。まず灯油が鯨油に取って代わり、次に電気が灯油を駆逐した。
 
…後略。


*特に、日本のマスコミで論説委員たちが使う、この言葉のインチキさ、いい加減さ。

日本の、世界の、おためごかし達に贈る、この稿は特にシーシェパードと、その賛同者に。

2011年07月06日 07時21分59秒 | 日記
何度も繰り返し読まれるべき真実。

今週号のニューズウィークには、おためごかしな論理で動く現代人…日本も、世界も…が、
何度も何度も読み返すべき論文が在る。

それはまた、芥川の、「文明のターンテーブル」、の正しさを完璧に証明してくれている論文でもある。

ビョルン・ロンボルグ(統計学者)(筆者はコペンハーゲン環境評価研究所所長で、『環境危機をあおってはいけないI地球環境のホントの実態』の著者)  文中黒字化は芥川。


今日は、世界の大半の人が知らなかった事実から抜粋する。

18世紀から19世紀半ばまで、欧米諸国の多くでは灯火用の燃料として鯨油が使用されていた。捕鯨産業はピーク時には7万人を雇用。アメリカでは5番目に大きな産業だった。
 
当時のアメリカは世界一の捕鯨大国。大量の油を生産する捕鯨産業の地位は揺るぎないと思われていた。
代替燃料としてラード油やカンフェン(テレビン油とアルコールの混合物)を推す声もあったが、捕鯨推進派は鼻で笑った。鯨油がなければ世界は暗闇の時代に逆戻りするという見方が当時は大勢だった。 

だが今では、鯨を殺すことは野蛮な行為と見なされている。
 
200年前には、環境保護運動は存在しないも同然だった。それでもボストン沖の捕鯨基地ナンタケット島から出航する漁師たちは、大量の鯨を捕るために年々遠くの海まで出掛けなければならなくなっていることに不安を感じたかもしれない。もし鯨を捕り尽くしたらどうなるのだろう、と。

…中略。

かつての欧米諸国は大量の鯨油を消費したが、鯨が絶滅しなかったのはなぜか。

…後略。