関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

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(洋楽メモリアル🎵) バナナラマに続くハズだった UK発ガールズPOPグループの悲劇 ━━ メル&キム

2023年03月06日 | 日記

きょうは、昭和人のメモリアル。バブル期の洋楽ヒットにまつわるメモ書きを。

当時のUK産ガールズPOP界で、一番人気の成功株と言えばバナナラマだ。まるで幼稚園の「お遊戯💧」のような振り付けを交えて、三人三様の女子がキャッチーなダンスPOPを歌う……という企画ユニット。

21世紀の今なお、当時の懐古番組やらライブ行事で(旧ヒットを紹介されたり)登場してくる※のは決まって彼女たち。※メンバーこそ1名脱退してデュオには変わってるが。

がしかし、彼女ら3枚目のアルバムが放ったメガヒット・ナンバー『ヴィーナス』(1986年)の翌年には、早くもバナナラマ「ガールズPOP、英国トップの地位」を脅(おびや)かされていた💧のを ご記憶だろうか❔

まったく同じような曲調で、キュートかつキャッチー、跳ねるようなリズムとダンスで翌87年のUKチャートの頂点を獲ったのは、この子たち。


踊ってるのはジャマイカ人を父、英国人を母とするキンバリー(姉 61年生)とメラニー(妹 66年生)の「アップルビー姉妹」だ。

両親は幼少期に離婚し、(黒人との)混血としての人種偏見にも遭う貧しい暮らし。姉のキムに至っては17歳で私生児を出産し、内職で子育てを食いつなぐ日々を送ってた。

その家族を少しでも助けたい、と思ったのだろう。生き苦しくても陽気な性格の妹メルは、自身の豊満なボディを武器に「セクシーモデル業」を始める。ヌード写真を撮られたり、場末のキャバレーを巡ってダンスショーに出たり。

上掲のPVの冒頭も「おいでキム!」と彼女が姉を街に誘い出すシーンから始まるが、ふたりの芸能界進出も(最初は)そんなだったらしい。小さな舞台でも踊り続けた行動力が幸いし、メルの身体能力はアメリカ人プロデューサーの目に留まる。

そこで「歌う気はないか」とオファーを受けた彼女、すぐに「うちの姉さんは あたしより美人なの。だったら一緒に歌わせて」と逆提案。キムもスカウトするよう持ちかけたのだった。妹と違ってスレンダーなボディ、堅実派(にならざるを得ない)シングルマザーであったキムは半信半疑。悪い白人に騙されるかも、と妹を守るためしぶしぶこのスカウト話を呑んだのである。

そこからは、現代のシンデレラ物語。

みるみるスター街道を駆けあがった二人。何せバナナラマには無い「エキゾチックな美形」と、ふた回りは上手い「リズム感性」を兼ね備えてる。然るべき作曲編曲&振り付け陣でサポートすりゃ、売れないハズがなかった。

特に独身で、UK男子の視線を釘付けにする肉感ボディをひっさげたメラニー嬢の「破壊的な」アイドル・オーラといったら💧 姉妹の前途にゃ、バラ色の未来が開けてた……ハズなのに。


そんな姉妹のまぶしい逆転人生も哀れ、一瞬にして奪われるのだ。


№1ヒット『リスペクタブル』の大成功から幾月も経たぬうちに、うら若きメルの身体を病魔が見舞う。診断の結果は「パラガングリオーマ」。たいへん珍しい、難病の稀少ガンである。緊急入院して治療に入るも、この世は残酷だ。ほどなく、合併症の肺炎で亡くなってしまった。享年23歳。

理不尽のキワみだな。まるで線香花火、サクセスをつかんだ直後の「終止符」だった。


ってえワケで、メル&キムの快進撃は「未完のまま」虚空に消えた。

さらにバナナラマを追撃するため、制作サイドはキンバリーに「別のデュオ相手を選ぶよう」話を向けたが、傷心の彼女には「妹に代れるパートナー」など考えられなかったようだ。ソロアルバムを1枚 発表してのち、表舞台から"自然"引退。ときには芸能の裏方ワークを請けつつも、徐々に元の「母親としての地味な暮らし」に戻っていった。

以上、そんな辛すぎる悲劇のせいで「バナナラマの安定した人気と評価」が築かれてく💧に至ったとさ。ひっそりと、敗れた者に幸あれ。君らこそ、本当は勝者だった。 黙祷…っ
=了=

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