【 2007年10月31日 の日記を更新 】
キャメロン嬢が"ジョン・ラッター"という写真家に無名時代のヌード写真を買い取るよう強請(ゆす)られた件の裁判騒動(2003-2005年裁判、2006年判決確定)を、日本の映画ファンは遠くアメリカ国内のゴシップとして眺めていたようです。
が、コトの顛末はすべて1992年の日本で起きていた事件であったことを、みなさんはご存知ですか?^^;
被告人ジョン・ラッターは1992年当時日本に暮らし、主に日本やヨーロッパのメディアに向け、白人のモデルを被写体にしたファッション写真(大半はソフト・ヌード)を売って暮らしていました。
廃工場で男女を全裸にしてSMっぽいポーズをさせた写真は、日本のトレンド誌にもしばしば載りましたし、それを『芸術だ』と高く評価する日本人評論家さんもいらっしゃいました。
そんなステータスを武器にして当時の彼は、仕事を求めて日本に来ている外国人モデルたち相手に、あるいは彼らの伝手を用いて海外の売れぬモデルにまで誘いをかけ、写真家というより、(多少ワリのいい)仕事をあてがってくれる手配師…として"暗躍💀"してもいたワケです。
さてさて。
「カネになるし、アートになるんだぜ。やる気あるかい?」と当時、彼から"仕事"を持ちかけられたモデル嬢のひとりが、誰あろう19歳のキャメロン・ディアスでした。こんな遠く離れた日本での“商業作品”なら親や知人にも知れまい、と(自分に)言い聞かせ、何枚かのヌードを撮られたり、SMっぽいポーズ撮影現場をビデオで撮られたりもしたのでした。(この劣悪画質のビデオ映像はアダルト動画の共有サイトに現在も多数 転載されています)
そんな"忌まわしい記憶のなかのトウキョウの写真家"が10年後、(女優で有名になったら)突然ズケズケと彼女を訪ねてきて……あげく今回の恐喝もどきです。彼のお下劣&ヤクザな言動が元で問題のビデオテープはネット上に流出してしまい、結局、彼女がひたすら覆い隠そうとしてきた『19歳、トウキョウでの暮らしぶり』は世界じゅうに曝(さら)け出されてしまいました。
《補註》 画像上は(92年当時の)ラッター撮影によるグラビア特集より。※モデルはキャメロンではありません。
ジョン・ラッターを訴え、そのすべてを自ら表沙汰にして以来、(それまで日本での仕事を拒み続けていた)キャメロン嬢は一転⚡して(宣伝のために)積極的に来日するようになります。
もうこの場所に隠すものなんかナニもない───ソフトバンクのTV-CMで通りを闊歩するあの映像のように、封印し続けた“過去の自分”から吹っ切れた、せいせいした…という想いが、一部に「日本嫌い」とも誤解されてきた彼女を今、そうさせているのかもしれません。
この話題の関連記事:
- 実は最後まで、日本のバブル崩壊に狂わされっ放しだったのかも❔── キャメロン・ディアスという名の「映画人生」。
キャメロン嬢が"ジョン・ラッター"という写真家に無名時代のヌード写真を買い取るよう強請(ゆす)られた件の裁判騒動(2003-2005年裁判、2006年判決確定)を、日本の映画ファンは遠くアメリカ国内のゴシップとして眺めていたようです。
が、コトの顛末はすべて1992年の日本で起きていた事件であったことを、みなさんはご存知ですか?^^;
被告人ジョン・ラッターは1992年当時日本に暮らし、主に日本やヨーロッパのメディアに向け、白人のモデルを被写体にしたファッション写真(大半はソフト・ヌード)を売って暮らしていました。
廃工場で男女を全裸にしてSMっぽいポーズをさせた写真は、日本のトレンド誌にもしばしば載りましたし、それを『芸術だ』と高く評価する日本人評論家さんもいらっしゃいました。
そんなステータスを武器にして当時の彼は、仕事を求めて日本に来ている外国人モデルたち相手に、あるいは彼らの伝手を用いて海外の売れぬモデルにまで誘いをかけ、写真家というより、(多少ワリのいい)仕事をあてがってくれる手配師…として"暗躍💀"してもいたワケです。
さてさて。
「カネになるし、アートになるんだぜ。やる気あるかい?」と当時、彼から"仕事"を持ちかけられたモデル嬢のひとりが、誰あろう19歳のキャメロン・ディアスでした。こんな遠く離れた日本での“商業作品”なら親や知人にも知れまい、と(自分に)言い聞かせ、何枚かのヌードを撮られたり、SMっぽいポーズ撮影現場をビデオで撮られたりもしたのでした。(この劣悪画質のビデオ映像はアダルト動画の共有サイトに現在も多数 転載されています)
そんな"忌まわしい記憶のなかのトウキョウの写真家"が10年後、(女優で有名になったら)突然ズケズケと彼女を訪ねてきて……あげく今回の恐喝もどきです。彼のお下劣&ヤクザな言動が元で問題のビデオテープはネット上に流出してしまい、結局、彼女がひたすら覆い隠そうとしてきた『19歳、トウキョウでの暮らしぶり』は世界じゅうに曝(さら)け出されてしまいました。
《補註》 画像上は(92年当時の)ラッター撮影によるグラビア特集より。※モデルはキャメロンではありません。
ジョン・ラッターを訴え、そのすべてを自ら表沙汰にして以来、(それまで日本での仕事を拒み続けていた)キャメロン嬢は一転⚡して(宣伝のために)積極的に来日するようになります。
もうこの場所に隠すものなんかナニもない───ソフトバンクのTV-CMで通りを闊歩するあの映像のように、封印し続けた“過去の自分”から吹っ切れた、せいせいした…という想いが、一部に「日本嫌い」とも誤解されてきた彼女を今、そうさせているのかもしれません。
=了=
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