先輩は、木下に、ごく個人的に、数回会ったことを認め、そのうちの何度目かに、しつこく迫る先輩に向かって木下が脅しに使ったナイフを振り払い、そのナイフを逆に木下の喉元に当て、「おれが、絶対におまえの息の根を止めてやる。」と脅した、と言った(そこまで聞いていないのに、だ)。そして、
「あいつ、“おれの指紋が付いたのはその時ですよ”なんて言ってるんだ。」
と、宝田さんは、意外そうにつぶやいた。宝田さんは、1時間ほどして、取調室から出て来て、課長と交代した。そして、宝田さんの次の言葉を聞き逃すまいと決意しながら、僕は、宝田さんに、熱いコーヒーを渡し、
「それで?」
と、聞いた。
「あいつは、木下と会ってたことは認めた。ナイフに自分の指紋が付いていたことも、だ。木下が殺された時間、アリバイは、無い。…そして、木下を殺したことを、否認している。」
「アリバイが無い、って、…どういうことですか。」
「ずっと、家に居たんだってよ。」
「誰とも会ってないんですか?」
「あぁ、よって、アリバイは、証明できない。」
宝田さんは、ズズッとコーヒーをすすった。
「あの日…、」
「ん?」
「あの日は、確か、僕、9時頃に先輩の携帯に電話したんです。」
「…それで?」
「先輩、車じゃなかったんです。」
「…は?」
「先輩は、“ずっと、家に居た”って言ったんですよね?じゃあ、なんで、自分の車で来なかったんでしょうか。」
「何で来たっけ?」
「タクシーです。」
「故障でもしてたんだろ。」
「でも、あの日は、土曜日ですよ。先輩の家から現場までの方向で、タクシーが捕まらないなんてことは、まずありませんよ。車で、せいぜい15分程度の距離だし、30分以上もかかる訳無いですよ。」
「…どういうことだ。」
「…僕、先輩が、家以外の、別の場所に居たんじゃないかと思うんですが。」
「おまえなぁ。若林は、殺人事件の取調べを受けてるんだぞ。本当にやってないなら、なんであいつがそんな嘘つかなきゃならないんだ。」
「そりゃそうですけど…。」
宝田さんは、冷えてしまったコーヒーに、ようやく2口目をつけ、椅子に傾れ込んだ。
「そりゃあそうですよ。…でも、宝田さん…。」
「なんだよ。」
「宝田さんは、先輩がやったと思ってるんですか?」
「あのなぁ、思いたくはないよ。思いたくはないけど、あいつほど、木下のような奴を深く恨んでる奴はいないだろ?家に居たことが嘘なら、木下を殺してないことは証明できないし、ナイフの指紋だって、本当は、木下を刺した時に付いたものかもしれないだろうが。」
「…でも、そうじゃないかもしれないじゃないですか!」
「うるせー!静かにしろ!長井!」
課長は、ドアを後ろ手に閉めながら、結び目に指を突っ込み、ネクタイを緩めた。
僕は、疲れ切っている課長に歩み寄り、先輩と話がしたいと頼んでみた。
「おまえはソノさんとコンビを組んだんだろ!」
「園田さんは帰りました!」
「帰った、だと!」
「はい!園田さんとは明日からのコンビです。園田さんがそう言ってくれました!」
疲れていた上に、唯一自分より年上の園田さんの名前を出されて、課長は、あっけなく降参した。取調室のドアを開け、課長は、中にいた本宮さんにも、休憩にするから、と声をかけ、本宮さんと入れ違いに僕を中に入れてくれた。
(つづく)
「あいつ、“おれの指紋が付いたのはその時ですよ”なんて言ってるんだ。」
と、宝田さんは、意外そうにつぶやいた。宝田さんは、1時間ほどして、取調室から出て来て、課長と交代した。そして、宝田さんの次の言葉を聞き逃すまいと決意しながら、僕は、宝田さんに、熱いコーヒーを渡し、
「それで?」
と、聞いた。
「あいつは、木下と会ってたことは認めた。ナイフに自分の指紋が付いていたことも、だ。木下が殺された時間、アリバイは、無い。…そして、木下を殺したことを、否認している。」
「アリバイが無い、って、…どういうことですか。」
「ずっと、家に居たんだってよ。」
「誰とも会ってないんですか?」
「あぁ、よって、アリバイは、証明できない。」
宝田さんは、ズズッとコーヒーをすすった。
「あの日…、」
「ん?」
「あの日は、確か、僕、9時頃に先輩の携帯に電話したんです。」
「…それで?」
「先輩、車じゃなかったんです。」
「…は?」
「先輩は、“ずっと、家に居た”って言ったんですよね?じゃあ、なんで、自分の車で来なかったんでしょうか。」
「何で来たっけ?」
「タクシーです。」
「故障でもしてたんだろ。」
「でも、あの日は、土曜日ですよ。先輩の家から現場までの方向で、タクシーが捕まらないなんてことは、まずありませんよ。車で、せいぜい15分程度の距離だし、30分以上もかかる訳無いですよ。」
「…どういうことだ。」
「…僕、先輩が、家以外の、別の場所に居たんじゃないかと思うんですが。」
「おまえなぁ。若林は、殺人事件の取調べを受けてるんだぞ。本当にやってないなら、なんであいつがそんな嘘つかなきゃならないんだ。」
「そりゃそうですけど…。」
宝田さんは、冷えてしまったコーヒーに、ようやく2口目をつけ、椅子に傾れ込んだ。
「そりゃあそうですよ。…でも、宝田さん…。」
「なんだよ。」
「宝田さんは、先輩がやったと思ってるんですか?」
「あのなぁ、思いたくはないよ。思いたくはないけど、あいつほど、木下のような奴を深く恨んでる奴はいないだろ?家に居たことが嘘なら、木下を殺してないことは証明できないし、ナイフの指紋だって、本当は、木下を刺した時に付いたものかもしれないだろうが。」
「…でも、そうじゃないかもしれないじゃないですか!」
「うるせー!静かにしろ!長井!」
課長は、ドアを後ろ手に閉めながら、結び目に指を突っ込み、ネクタイを緩めた。
僕は、疲れ切っている課長に歩み寄り、先輩と話がしたいと頼んでみた。
「おまえはソノさんとコンビを組んだんだろ!」
「園田さんは帰りました!」
「帰った、だと!」
「はい!園田さんとは明日からのコンビです。園田さんがそう言ってくれました!」
疲れていた上に、唯一自分より年上の園田さんの名前を出されて、課長は、あっけなく降参した。取調室のドアを開け、課長は、中にいた本宮さんにも、休憩にするから、と声をかけ、本宮さんと入れ違いに僕を中に入れてくれた。
(つづく)