桑取谷北谷、地蔵堂。
かっては右のお地蔵さんを小学生に背負わしていたという。この地蔵が背負えてこそ山村部の労働に耐えられる子として扱われたようである。その正月に行われた行事も。昭和57年に子供がいなくなり、その行事も途絶えたという。
北谷と中の俣集落への県道にある峠、太夫峠にある石仏2体。私も7、8年ぶりの対面である。県道峠にある送電線用鉄塔の管理道を200mほど入った雑木林にある。
葛屋が多く残る中の俣集落
上越市桑取谷北谷から中の俣への道は積雪が多く、5月の声を聞かないと開通しない。上越市中の俣は上越市の陸の孤島ともいえる場所である。上越の市街地からおよそ3、40分ほどの道のり。夏はまだしも冬の積雪と凍結した道路には危険が潜んでおり、デリケートな運転を要求される。途中にあった小さな集落は廃絶し、現在60人ほどの住民が棚田を守って生活している。しかも70歳以上がほとんどという、限界集落でもある。バスも廃止され、交通弱者が多いのである。
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