十三村、あるいは十三湊 、このブログでは簡略に書いてきたが、十三湖の西側。勝手の十三村の本村は
現在住所は 青森県五所川原市十三 となっている。
「十三、湊迎寺」
二、三度私がこの村を往き帰りしていると左手に代官所の跡のようなものを見つけた。ドキッとして中に入ると、そこにはまことに古びた太い柱が二本、ずしんと左右に立っていた。あっ、これは黒澤明の赤ひげの映画に出てくるあの屋敷と全く同じではないか。中略 色褪せ、塗りの全くない、古びきったお堂がその奥にあって、その前に広い砂の庭があった。私はしばし呆然と眺めていた。すると横に、石地蔵がいっぱい、ずっしり固まって並んでいた。
斎藤真一著 「瞽女=盲目の旅芸人」から
「十三、湊迎寺」の境内
近寄ると地蔵群は皆古色蒼然としていて、なんとも不思議な顔、顔、顔である。それは目をつむり少し前かがみにうつむく物思う顔で有り、じっと祈る優雅な顔であり、悲しみ、孤独な顔で会った。そして、仏に着せたい帽子、着物、帯が色とりどりに真新しく、私はここでもねぶたのように、赤、黄、白、青とそのあでやかさに驚いてしまった。これは古老の話た瞽女の姿では・・・、いや〜きっとそれに違いないと、私はしばらく見入っていた。
斎藤真一著 「瞽女=盲目の旅芸人」から
「十三、湊迎寺、地蔵群」
上記のような文章を読むと、斎藤の描く瞽女と、風景、そして着想が、津軽での旅で生じたとしても決して不思議ではないのではないか。この斎藤の津軽での旅の体験が、相反する充実感と虚無感、憧憬と幻映をもつ作品へとフィードバックされていったのかもしれない。
翌日、斎藤は五所川原から五能線に乗り換えた。次々に変わる荒涼たる海岸線を眺めながら、「瞽女」という全く未知な盲目の芸人のことばかりを考えていた。鯵ヶ沢、深浦を過ぎ、汽車は切り立った断崖沿いを縫うように走り続ける。私は行けども行けどもいつまでも続く右手の日本海の果てしない青海原に見入っていた。越後海が・・・・・越後に行ってみよう、もしかしたら瞽女さんたちのことを知っている人に・・・。
斎藤真一著 瞽女=盲目の旅芸人から
五能線から越後への旅
斎藤は日本海に沿って走る五能線に揺られながら、まだ見ぬ越後瞽女への強い思いを、車窓に投影していたのだろうか。
※ この後、日本海に沿って走る五能線と国道101号についてと、帰路の寄り道記事については、後日掲載いたしますのでよろしくお願いいたします。また、しばらく出かけますので。
すでに消失した時間ですが、斎藤の本をもち、画集を見ながら歩くと、往時の風景が脳裏に蘇ってくるようです。良い旅をしてください。
私も新しい旅を企画しております。