上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

津軽に斎藤真一の足跡を辿る ①

2019-11-07 21:37:54 | 津軽の斎藤真一

 

   青森から蟹田への鉄路

 

 

 

        蟹田駅

 

            蟹田から陸奥湾越しに、下北半島方面を臨む

 1961年(昭和36年)の夏、斎藤真一は青森県を訪れ、初めて瞽女の存在を知ることになった。そのきっかけとなったのが、東北、青森への一人旅であった。

 この東北への旅の前に斎藤は、ヨーロッパに外遊しており、パリ在住の藤田嗣治にあった際、東北の魅力について、話を聞かされていた。そのことが日本に帰った斎藤の未消化な心を揺り動かし、東北への一人旅になったのであろう。

 青森での瞽女を知るきっかけを、斎藤は著書「瞽女=盲目の旅芸人」で経緯を書いている。

 私が初めて津軽の蟹田の町を訪れたのには、さしたる理由があったわけではないのである。ただ、津軽の蟹田というこの町が、遠い昔の私が忘れていた日本に思えた、とある。

 津軽のありふれたこの町が、斎藤は魂の中に潜んでいた、故郷の風景を見せつけてくれたのだと言わんばかりなのであり、この日、弘前にとった宿で、斎藤のライフワークともいうべきモチーフの、瞽女にたどりつく経緯は下記のようである。

 「青森に戻り、奥羽線に乗り換え、弘前に宿をとった。弘前はちょうど夏でねぶた祭り、華やかな街に、色とりどりの着飾った若い男女の群、そしてけたたましい三味線の音に、戸惑っていた斎藤も、いつしか同化していったのだという。とりわけ三味線の音に強く惹かれ、70代の宿の主人との三味線についての談話の中で、瞽女の存在を初めて認識したのだ」と書いている。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
津軽 (安倍川もち)
2019-11-08 15:02:22
斎藤真一の足跡。蟹田、下北半島を臨む、地名を聞いただけで、ゾクゾクします。遠い昔、斎藤真一のごぜの本を夢中になって読んだ時間を思い出しました。自分では、辿れていませんので、ブログで味合わせて頂きます。続きを楽しみにしてます。
返信する
津軽の旅 ()
2019-11-08 15:23:01
安倍川さん、毎度!
東北良いよ、特に秋田からの風景。日本海と五能線、そして国道101に沿っての旅は、オススメです。
返信する

コメントを投稿