昨日は学生時代の友人たちと八王子の料亭で芸者遊びを楽しんだ。
久しぶりの八王子で、夜の宴会の前に、午前中は滝山城址公園をみる。
ここは、1521年、山内上杉関東管領が武蔵の国守護時代の守護代大石氏が築城したのが最初で
、
北に多摩川を望む断崖の尾根を利用して、堀を巡らす中世の城跡。
その後 1546年、河越の夜戦で北条氏康が、上杉に圧勝。上杉氏の関東支配が崩壊、
代わって北条氏の関東支配の時代に入ると、
滝山城の大石氏も降伏し北条氏の支配下にはいり、同盟関係を築き、北条氏照の武蔵支配の地とした。
しかし、1569年には、武田信玄、勝頼軍に三の丸まで攻められたが何とか撃退した。
ここで、北条氏康はこの城は危険と判断し、もう少し西の高尾山の北側に石垣等を利用した中世の山城を八王子城として築く。
その後、戦国トーナメントで、武田氏を破った、織田方の豊臣秀吉が、
1590年の小田原攻めの折、
こちらの八王子城は前田利家・上杉景勝・真田昌幸ら15000人で攻撃。相当な犠牲を出して落城。
この結果、小田原の北条氏は降伏し滅んだ。
こういう歴史で、滝山城は中世の堀中心の大規模な城で早期に放棄されたため、現形がかなり正確に残っている。もちろん、時間の流れで堀跡などはだいぶ自然に埋まっているが様子は分かる。
こうして吾輩は、歴史を想像した後、八王子駅前の天然温泉ランドで風呂を楽しんで、
上記の黒塀通の料亭であそんだわけです。
ちなみに、他の3人はゴルフを楽しんだ後、宴会に参加するなど、皆さん豪華にあそんでいるよね。
久しぶりの八王子で、夜の宴会の前に、午前中は滝山城址公園をみる。
ここは、1521年、山内上杉関東管領が武蔵の国守護時代の守護代大石氏が築城したのが最初で
、
北に多摩川を望む断崖の尾根を利用して、堀を巡らす中世の城跡。
その後 1546年、河越の夜戦で北条氏康が、上杉に圧勝。上杉氏の関東支配が崩壊、
代わって北条氏の関東支配の時代に入ると、
滝山城の大石氏も降伏し北条氏の支配下にはいり、同盟関係を築き、北条氏照の武蔵支配の地とした。
しかし、1569年には、武田信玄、勝頼軍に三の丸まで攻められたが何とか撃退した。
ここで、北条氏康はこの城は危険と判断し、もう少し西の高尾山の北側に石垣等を利用した中世の山城を八王子城として築く。
その後、戦国トーナメントで、武田氏を破った、織田方の豊臣秀吉が、
1590年の小田原攻めの折、
こちらの八王子城は前田利家・上杉景勝・真田昌幸ら15000人で攻撃。相当な犠牲を出して落城。
この結果、小田原の北条氏は降伏し滅んだ。
こういう歴史で、滝山城は中世の堀中心の大規模な城で早期に放棄されたため、現形がかなり正確に残っている。もちろん、時間の流れで堀跡などはだいぶ自然に埋まっているが様子は分かる。
こうして吾輩は、歴史を想像した後、八王子駅前の天然温泉ランドで風呂を楽しんで、
上記の黒塀通の料亭であそんだわけです。
ちなみに、他の3人はゴルフを楽しんだ後、宴会に参加するなど、皆さん豪華にあそんでいるよね。