江戸の退屈御家人

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ボスニア・ヘルツゴビナ その5 モスタル

2016年08月11日 14時17分42秒 | Weblog

暑いね。残暑お見舞い申し上げます。 

吾輩は1週間のロアチア旅行から帰国してはや1週間。暑いのにテニスを復活。昨10日も暑かったが、錦糸町の猿江恩賜公園で15時から17時までやりました。お陰で昨夜から今日にかけてダウン。オリンピックを見ながらビールに浸る。明日も3時間のテニスが予定、更に8月中に、あと7回のテニス日程がある。年を考え、死なないように気をつけるしかないね。皆様もご自愛のほどを。

さてクロアチア旅行の続きだが、ボスニア・ヘルゴビナはユーゴ独立戦争の激戦のあったところ。クロアチアから国境を変えて世界遺産のモスタルへ行きました。

ここはムスレム系住民の多いところで、クロアチア人が、ムスレムを攻撃したところと言われている。もちろん今ではかっての内戦なんか忘れたように生活している。これが民族混住のバルカンの生命力・本質かも。

ネレトヴァ川をまたぐモスタルの石橋。1566年オスマン帝国支配下に作られた美しい橋で、スターリー・モスト(古い橋)と言われたところから、このモストから街の名前がついたとか。この橋から川に飛び込むのが年中行事だったが、内戦中は、この橋を境にクロアチア人勢力とムスリム勢力が対峙。93年11月にクロアチア勢力が、この橋を爆撃破壊。2002年にユネスコ、世銀等の支援で再建に着手。2004年に写真ごとく再建された。そして世界遺産。

爆撃直後の仮の橋の写真が全世界に発信された。

ムスリムとクロアチア?の混血美人

小規模のミナレット

イスラム教会前の手洗い所

ムスリム教会の内部

イスラム教会のミナレットから下界を

イスラムは土葬だそうだ。教会境内のお墓

外国人の観光客

周辺はブドウ畑