江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

谷中銀座…正月の自由 即ち…選択の自由

2019年01月11日 19時59分12秒 | Weblog
正月11日、吾輩は今日は午前中読書。「問わず語り」(鎌倉時代初期の源氏物語か) と「三河物語」これは徳川幕府の安定期以降の武士の世界の生き方をめぐる混乱。を読みました。最近は古典は漫画で読むに限ると思いました。

今日は午前中からこういう昔の本を読みながら時間をつぶしました。


午後3時過ぎから 少し運動もしないといけないと思い、昔から気になっておった 谷根千(東京の昔の下町=谷中・千駄木・根津 の頭を取って、地域再活性化を図るグループが名付けたもの)に行こうと思いました。

具体的には地下鉄千代田線で千駄木駅まで行き、ここから 「よみせ通り」(名前がいいねー) と 谷中銀座を歩きました。

谷中銀座の入り口に酒屋があり、ここで新種の 白酒=どぶろく を売っていたものですから店のおばちゃんに、吾輩は金500円なりでいっぱいひっかけましたよ。途中で口が寂しくなりまして 隣の 肉屋でミンチコロッケの揚げたて1ケ200円も買って食べました。

谷中の銀座通りは、クロスする 「よみせ通り」 と同じく非常に庶民的なところでありまして、外国人も結構おりました。私もこれをを見物しながら雰囲気を楽しみながら、散歩した次第であります。


これが谷中銀座の だんだん通り と言われるだんだん坂の反対側の入り口であります。西日暮里から、だんだん坂を下って谷中銀座を買い物に行くのであります。

ここはちょうど 江東区の 砂町銀座 の雰囲気とよく似ております。ここは江戸時代の庶民の街、いっぽう砂町は、昭和以降の庶民の街のような気がいたします。


谷中銀座のほんの数分先に、大黒天経王寺 と言うお寺があり、ここは明暦元年の創設であって、地元の豪農が勧進して作った言う話であります。

 その後慶応4年 1868年に 上野の彰義隊が攻められ、敗残兵がこの寺に逃げ込み、政府軍から攻撃を受け、、その時の弾痕の後が、今も門の板に残っています。





 その先の西日暮里の駅に行く途中、JRや新幹線の 交通の要衝を見ました。



その後、近くの朝倉彫塑館 に行きましたら、入館は4時までと言うことで、その時4時半でありましてアウトでした。


   こうして今日はもう帰ろうと思って地下鉄の千駄木駅まで行こうとしたところ、都営バスの停留所があります。私は東京都の老人パスを持っており(年間20,000円ぐらい払っております。)とにかくこれを利用させてもらおうと思い、すぐ来たバスに乗ると浅草寿町行きでありました。

そこで 浅草ロック で降り、思いついて近くの 「ドジョウの飯田家」に行きました。

今日は金曜日の5時過ぎだったもんですから、結構空いておりまして 私1人だけの客であっても充分対応してくれました。やはり、お店は、暇なときに行くべきだと痛感。


久しぶりにどじょう鍋を堪能させてもらいましたよ。 幸せ。


あと浅草を歩いて帰りましたが、途中で浅草らしい雰囲気があったので皆様にお見せします。





こうして今日の 退屈御家人 の自由すなわち、行動の自由、選択の自由 楽しみの自由 を正月からエンジョイしてるわけであります。 おしまい。

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