江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

旬の終わりに

2019年05月31日 20時59分54秒 | Weblog

 退職老人は、教養&教育 がないと生きていけない という文章を読んだことがある。

   教養とは 「今日 要がある」  教育とは 「今日 行くところがある」 という意味である。

これらの
時間をつぶす手段がないと、 これは 今はやりの 「引きこもり」老人 となる恐れがある。

女性方は 友人とひたすら おしゃべり で時間をつぶす手があるが、男性のおじさんは なかなか 時間つぶしがむつかしい。大変なのだ。「人生は 死ぬまでの 暇つぶし」と吾輩は信じている。

5月31日 明日から6月である。

 そこで、 用はないが、 行くところ は尻軽・軽佻浮薄の 野次馬 退屈御家人 としては いろいろ行くところを発見できる。
 
 今日は 最近 はまっている 深川は森下 で「魚三」という飲み屋へ行く。以前は 赤羽駅周辺の各種 飲み屋に行ったし、今後も行くつもりだが、今回は、深川である。

 一言で行くと、深川・森下は 江戸時代の中後期から 下町の発展を支えた町である。各種労働者が 憩いと暇つぶしを兼ねて飲み屋を尋ねた歴史の 町の雰囲気が残っている。

 赤羽は明治の中期以降、政府の印刷工場や周辺の印刷業界の従業員や、川向こうの 川口市の 鋳物工場などの工場群の労働者たちが、当時の三交代制職場で 朝に仕事を終えた労働者は、当然 朝から 飲みに出かける街が 赤羽であった。このため 赤羽では 朝から開いている店があるね。 こういう 社会背景を知ったのも、飲み屋の 雰囲気の問題だ。


今日は5月31日、さつきの終わり。そこで、「教育・・ 今日の行く」ところは つまり 亀戸天神と決めた。

そこで、まず森下駅に昼過ぎに行き、ここで「魚三」を覗くが、やっぱり、同店は昼間はやっていない。

4時オープンと聞いていたが本当だ。それでも江戸の飲み人たちは、4時からやっていたのだろうか。

 ちなみに、人形町や門前仲町でも、堅気の人間は 5時までは一生懸命働く、飲み始めるのは5時以降と決めている 矜持がある。ここが、赤羽の 明治期以降の3交代制、したがって朝から飲ませる と違うところだ。

 まだオープンしていない「魚三」で、マ―そうだろうなと、同店の前で都バスに乗って、終点の亀戸まで行きました。老人パスは便利だ。両国を通って、北十間川に沿って 亀戸へ。

 亀戸の駅前ビルに 魚道場 という店があり何とか昼飯にありつけた。

魚焼き。煮魚定食は終了というから刺身定食を。目のまえの生け簀に鯵や鯛が泳いでいる。
これは改めて、来なければなるまい。
亀戸は結構、食の町であると発見。以前は「亀戸餃子」を愛しただけだが。

 そのあと、バスで上野公園まで行こうとしたが、途中で、亀戸天神ががあり、藤を見なければ と思い途中下車。亀戸天神を見に行きましたヨ。

 おお、なんと藤の花が一切ない。まだシーズンなっていないのかなと思っていたら、なんと藤祭りはとっくに終わっていた。

何と4月14日から5月6日までだった。



 今年は、令和の代替わりと、10連休をどう過ごすかに頭一杯で、京都に行くことに気を取られて、藤娘を忘れていた。

人間関心対象が変われば、たとえ美人でも忘れてしまうものだと痛感した。

 こうして、六日の菖蒲 の気分で 錦糸町を回って、帰りました。


 そこで 旬 という言葉の重みを感じたのです。


近所のスーパーで、 旬の サクランボ それも黄色いサクランボ と、黒い輸入サクランボがあったが、

隣の、いちご 「栃おとめ」 を買った。

 いわく  旬の変わり目に、終わりゆく果実にも 惜しみない愛情を!