図書館でこんな本を発見した。「江戸の退屈御家人」と自称する我が輩の原型を見る思いだ。

これは、江戸の風俗などを書いておられる 永井義男氏の「下級武士の日記に見る 江戸の 性 と 食」という河出書房新社 発行の本で、
しょせん人間は 色気 と 食い気 という観点から江戸時代の武士の日記の現存している中で うち6編ばかりを オムニバス風に 事実理解と解説説明しておられる本である。
謹厳・実直・高潔・ストイックな江戸の武士というイメージとだいぶ違う、現代人的な
いくいく分 軽佻浮薄な 好奇心旺盛な、野次馬的 生活態度を面白おかしく記している。
特に 吾輩の名称「江戸の退屈御家人・・世の中の面白い事を 野次馬根性で」 と同じ人種が、160年前に面白い日記を残しておられたのに、吾輩も感謝する次第である。
1、酒井伴四郎 は天保5年1834年生まれ。紀州和歌山藩の下級武士に生まれた。
万延元年、27歳の時、江戸勤番を命じられ、妻と2歳の娘を残して、仲間6人と江戸へ。紀州藩の中藩邸赤坂藩邸の長屋に住み着いて、江戸滞在期間の三分の一・ 195日間の江戸生活を克明に日記に記して残しているそうである。
2、中山道を19日かけて江戸屋敷に到着後、長旅で足に腫れものができ、教えられた医者に行くが不在のため、火箸・土瓶・雪平鍋・衣紋竹を買い、途中空腹のため、蕎麦を2膳食べた。
3、江戸藩邸での仕事は、戦争に供える軍事体制の維持。そもそも徳川時代も250年経った頃には、天下泰平で、武士の本来の仕事は、ないし、戦がない時代だから、緊張感も皆無。システムとしての人員構成は戦国期のままだから、だから、勤務としてのお城の当直勤務などは せいぜい1か月1~2度程度。
少ない仕事を多くの人間で分かち合っている。今風のワークシェアリングだ。一日の勤務も午前中2時間程度とか。(現在から ひと昔前のどっかの公務員もそういうのがあったかも。)
4、そうして安い給料=石高ながら、藩邸長屋で住居は保証されているから、あとは貧しいながら自炊の飯炊きが大きな仕事。 武士は自前で料理や裁縫もしていたのだ。イメージが崩れるね。
5、こういう環境での、江戸の単身赴任者だから、
江戸見物 徐々に遠出をする 吉原遊郭と見世物小屋 両国橋たもとでの「性の見世物」=後世で言う 花電車みたいな 女のあそこでバナナを切ったり、物を釣り上げたりすること 横浜の開港地の見物 現地遊郭での紀州藩出入り業者からの接待 江戸町内での喰い歩き 藩邸長屋での同僚との猥談 深酒と下痢や体調を壊したり 同僚友人たちとの囲碁の勝負 風呂屋での逗留・宴会 酉の市見物 三味線の稽古 藩主への御目見え などなど。
6、 毎日毎日 楽しいことばかり。泳げタイ焼きくん のような生活だ。これらは
しょせん人間 色気と 食い気 という一面の本質を表している。
7、 現在の「江戸の退屈御家人」を自称している吾輩としては、160年前の先人と 「よー ご同輩!」と妙に気の合う仲間を発見した感じ。
賢者 曰く、「バカは死ななきゃ なおらない」 と いう言葉が思い出される。
