第十五篇
人の内側は 本当はもうなにがなんだかわからないものなんだけど
人の放つ言葉は そのほんの一部をつまみ出して
すごくわかりやすい形にしてくれる
その「形」はほかの人の内側に入り込んで いろんなイメージを形作る
人の中のなにがなんだかわからないものの面白いところは
そういうイメージにすごく敏感なところ
それひとつだけの時は なにがなんだかわからなくて
どんな事でも「あり」な気がしていたのに
その「イメージ」が出来ると 急にその周りだけ密度が高くなって
僕は まるでその周辺だけが「正しい世界」であるかのような感覚になる
それでもって 人の心のすごいところは
その「世界」によって 感情の動きが色々な方向に「はまって」いくところ
そもそもの言葉の本意だとか現実の真実とかはぜんぜん関係なくって
問題になるのは 出来上がった「イメージ」の方
だから「考えの持ちよう」によって人の感情はある程度コントロールできるし
逆にちょっとした言葉の誤解だとか勘違い
すれ違いで人と人との運命は大きく変わっていくことがある
さらに思うのは 世の中にはいろんな人がいて
いろんな性格があったりするわけだけど
それだって要は いろんな事に対したときに
「イメージ」を作る形だとか場所とかいうものに「癖」ができているだけで
そもそもの内面の「わけのわかんないもの」は
みんな大して変わらないんじゃないか ということ
僕が前々から言ってる事のひとつに いい意味悪い意味両方含めて
「人はひとりじゃなくなると人ではなくなる」っていうのがあるんだけど
その辺もこれとおんなじような位置にある考えだと思う
ひとりでぼーっとしてるとき
頭の上にある言葉にならないようなモヤモヤしたものは
みんな共通に持ってるものなんじゃないか
なーんて思っている
でもそれを言葉にしたとたんに
別のひとがその言葉を飲み込んでからそれぞれの中に膨らむイメージは
なんだか最初の本意とはぜんぜん変わってしまってたり
そもそもイメージなんか膨らみもしなかったり
いろいろするわけだ
こんなこと言ってると
あの人のあんな部分なんて 私の中にはない!
なーんてことを言われちゃいそうだけど
なんだかんだ言っても ある人の可能性は 他のすべての人にもあるわけで
今は意識してなくても それは確実に君の中にもあって
たぶんそれは 今は何か他のものに一生懸命に抑えられてるか
それとも これまでまったく縁がなくて意識されたこともなかったか
どっちかであると思われる
ある視点から考えるとあるイメージができて
また別の視点からは別のイメージができて
人をそれぞれのイメージの世界の中にはめこんでしまうのだ
どっちの世界だろうが その人にはそれが真実なのだ
それで 人間っていうのは生き物だから
生き物としての第一の本能から
自分の存在を危ぶむようなものには 当然大きな感情の動きを感じるもの
まずそれを前提として覚えておいてもらって
次に 先の「真実の世界」は結構癖になるパターンが多くて
それがその人にとって嫌だろうがなんだろうが
その人はそこで生き続けねばならない
でもって人は
「夢」っていう大きなプラス方向のキャパを自分の中に持ってるんだけど
やっぱそれをどんな人だろうが持っていたいから
今の生き方に「自尊心」というか
今の自分の心の位置を正当化する「イメージ」を これは大部分が言葉で
作っておくわけだ
それがあるおかげで 普通に何かをしてるだけでも
自分のしてることが自分の中で特別視されて すごく高い位置に置かれて
それで自分に酔ったり出来もするのだ
いわゆる「アイデンティティー」とか「ポリシー」
「男のロマン」なんてのは それだってわかりやすいけど
実は「恋愛」とか「ロマンス」が気持ちいいのも
それとおんなじシステムだったりする
話を本筋に戻すと
人はちっちゃな「自己正当化イメージ」を無意識にたくさん持っていて
それを傷つけるということは つまりそれまでの自分
ひいては今の自分の存在をも危ぶむ結果と結びつく
それはその人にとって大変な人生の危機であり
心が大きく動揺してしまうのも当然
自分の存在を今まで通りに続けるには
自分を傷つけたその対象を否定するのが一番手っとり早い
だから人は世の中に嫌いな人ができていくのだ
人の内側は 本当はもうなにがなんだかわからないものなんだけど
人の放つ言葉は そのほんの一部をつまみ出して
すごくわかりやすい形にしてくれる
その「形」はほかの人の内側に入り込んで いろんなイメージを形作る
人の中のなにがなんだかわからないものの面白いところは
そういうイメージにすごく敏感なところ
それひとつだけの時は なにがなんだかわからなくて
どんな事でも「あり」な気がしていたのに
その「イメージ」が出来ると 急にその周りだけ密度が高くなって
僕は まるでその周辺だけが「正しい世界」であるかのような感覚になる
それでもって 人の心のすごいところは
その「世界」によって 感情の動きが色々な方向に「はまって」いくところ
そもそもの言葉の本意だとか現実の真実とかはぜんぜん関係なくって
問題になるのは 出来上がった「イメージ」の方
だから「考えの持ちよう」によって人の感情はある程度コントロールできるし
逆にちょっとした言葉の誤解だとか勘違い
すれ違いで人と人との運命は大きく変わっていくことがある
さらに思うのは 世の中にはいろんな人がいて
いろんな性格があったりするわけだけど
それだって要は いろんな事に対したときに
「イメージ」を作る形だとか場所とかいうものに「癖」ができているだけで
そもそもの内面の「わけのわかんないもの」は
みんな大して変わらないんじゃないか ということ
僕が前々から言ってる事のひとつに いい意味悪い意味両方含めて
「人はひとりじゃなくなると人ではなくなる」っていうのがあるんだけど
その辺もこれとおんなじような位置にある考えだと思う
ひとりでぼーっとしてるとき
頭の上にある言葉にならないようなモヤモヤしたものは
みんな共通に持ってるものなんじゃないか
なーんて思っている
でもそれを言葉にしたとたんに
別のひとがその言葉を飲み込んでからそれぞれの中に膨らむイメージは
なんだか最初の本意とはぜんぜん変わってしまってたり
そもそもイメージなんか膨らみもしなかったり
いろいろするわけだ
こんなこと言ってると
あの人のあんな部分なんて 私の中にはない!
なーんてことを言われちゃいそうだけど
なんだかんだ言っても ある人の可能性は 他のすべての人にもあるわけで
今は意識してなくても それは確実に君の中にもあって
たぶんそれは 今は何か他のものに一生懸命に抑えられてるか
それとも これまでまったく縁がなくて意識されたこともなかったか
どっちかであると思われる
ある視点から考えるとあるイメージができて
また別の視点からは別のイメージができて
人をそれぞれのイメージの世界の中にはめこんでしまうのだ
どっちの世界だろうが その人にはそれが真実なのだ
それで 人間っていうのは生き物だから
生き物としての第一の本能から
自分の存在を危ぶむようなものには 当然大きな感情の動きを感じるもの
まずそれを前提として覚えておいてもらって
次に 先の「真実の世界」は結構癖になるパターンが多くて
それがその人にとって嫌だろうがなんだろうが
その人はそこで生き続けねばならない
でもって人は
「夢」っていう大きなプラス方向のキャパを自分の中に持ってるんだけど
やっぱそれをどんな人だろうが持っていたいから
今の生き方に「自尊心」というか
今の自分の心の位置を正当化する「イメージ」を これは大部分が言葉で
作っておくわけだ
それがあるおかげで 普通に何かをしてるだけでも
自分のしてることが自分の中で特別視されて すごく高い位置に置かれて
それで自分に酔ったり出来もするのだ
いわゆる「アイデンティティー」とか「ポリシー」
「男のロマン」なんてのは それだってわかりやすいけど
実は「恋愛」とか「ロマンス」が気持ちいいのも
それとおんなじシステムだったりする
話を本筋に戻すと
人はちっちゃな「自己正当化イメージ」を無意識にたくさん持っていて
それを傷つけるということは つまりそれまでの自分
ひいては今の自分の存在をも危ぶむ結果と結びつく
それはその人にとって大変な人生の危機であり
心が大きく動揺してしまうのも当然
自分の存在を今まで通りに続けるには
自分を傷つけたその対象を否定するのが一番手っとり早い
だから人は世の中に嫌いな人ができていくのだ