おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

第八篇

2006年01月14日 22時25分11秒 | 詩集『めぐり流れる一つを見すえて』
  第八篇


「永遠」は 存在しない。
そんなことわかっていても それでも わたしたちは
その存在を 信じ続ければいい。

「夢」なんて いつまでも かなうことはない。
現実に手に入れたとき その輝きは いつだって 失われた後だった。
それだって わたしたちは いつかかなうこと 願い続ければいい。

夢も 永遠も そして 愛だって 勇気だって
希望だって やさしさだって
それは ものではないのです。
だからといって 気持ちだとか 考え方だとか
そんな風に言えるものでも ないのです。
それは あるひとつの 決まった形あるものではないのです。
だからもし 「それは何?」と誰かが聞いても
その答えは ないのです。

それは わたしたちの 心を向ける方角なのです。
わたしたちが 選び 進んでいく 道のようなものなのではなくて
わたしたちの気持ちが そちらの景色をその目に映す
その向きの名前なのです。

そして
けれど
この大地を実際に歩いてゆくのは わたしたち自身です。
いくら心の向きが正しかろうと
毎日を生きるのは 現実に身体を持つ わたしたちです。
そのことで 過ちを繰り返すわたしたちの言いわけにするつもりは ありません。
だけどわたしたちは この身体が自分のものである限り
この先も 必ず 罪を犯し続けていきます。
だからといって イヤになってしまわないで欲しい。
後悔は してかまわないと思います いや というより すべきなのでしょう。
だけど すべてを否定してしまったら すべてが終わってしまいます。
言葉にした意味は 求めなくてよいのです。
ただ大きな力に導かれ 毎日を生きてゆければ それでいい。
人というのは 何をしてもよいものなのだと思います。
それで よいのです。

第七篇

2006年01月13日 23時02分08秒 | 詩集『めぐり流れる一つを見すえて』

  第七篇


町の雑踏の中 行き交うたくさんの人々


もしかしたら
この中の誰かと
いつか 僕は知り合うのかも知れない
そのときは よろしく

ひょっとしたら
この中の誰かと
いつか 僕は恋愛してしまうのかも知れない
そのときは お手柔らかに

こんな足早に歩く人たち
この速くて 混沌として とどまることを知らない流れは
僕の胸に
『時代』そのもののイメージを 思い起こさせる
・・・でも
    そのひとつひとつは
    きっと
    何かをみすえて
    そこにいるのだ


第六篇

2006年01月13日 04時29分59秒 | 詩集『めぐり流れる一つを見すえて』
   第六篇


 人は自分の居場所を求め 探し続け
 何度となく ここがそうなのだと
 思うたび
 いつか裏切られ
 ときには自分から
 その場を立ち去ってみたり

『えっ
 あなたがそうなのですか
 どうぞ よろしくお願いします』

 でも信じきれるはずもなく
 別の舞台の上に立つ
 誰かを思い浮かべても
 たいして悲しくはなくなってきていて

 はじめの頃は
 誰かを抱きしめれば 寂しくなくなるとか
 誰かと語り明かせば 気持ちがあたたまるとか
 そう思えていたけれど
 逆にそれを繰り返すほどに
 ちいさな別れのひとつひとつが
 ひとり生きている自分を厳しく刻み込んで

 別にあいつが悪いとか
   自分が子供だからとか
 そうは思わなくて
 この世の中が
 人間そのものがそういうものなのだと
 思い知らされているようで

第五篇

2006年01月11日 23時40分59秒 | 詩集『めぐり流れる一つを見すえて』
  第五篇


いつまでも変わり続け いつまでも成長し続けるはずだったのに
何かが見えたつもりになって
過ちを振り返ることも忘れて
どうしようもなかったのだと
一つの間違いを 何かを守るものにすりかえて
誰かを傷つけても
たいして悔やむこともなく
流れの中の一瞬なのだと
悟ったように
現実には流れの底に沈んだまま
動こうともしないで
ただじっと息をこらして
ほとぼりが冷めるのを待ち続けているだけ

第四篇

2006年01月10日 21時57分08秒 | 詩集『めぐり流れる一つを見すえて』
  第四篇


あたりまえのように
たくさんの人をキズつけ 悲しませて
ぼくは今まで 生きてきました

誰かをスキになるとか キライになるとか
そんな気持ちがなんで生まれるのかは よくわからないけど
そのわりには ぼくたちの毎日って
そんなことばかりで 左右されたりしています

いつも 悩みの源は
言葉にならないことばかりです
けれど それでも僕たちは 言葉で解決しようとするから
必ず最後は 堂々めぐりになってしまって
それで 結局は 疲れて寝てしまって
でも 朝になって 目を覚ますと
昨日の悩みなんて 結構 どうでも良くなってる

ぼくらはただ 普通に生きているだけ
人間って なかなかたくましい生き物なのでしょうか

第三篇

2006年01月10日 02時06分41秒 | 詩集『めぐり流れる一つを見すえて』
  第三篇


この世の中は、嘘ばかりだから、
今の自分の行動が、本気なのかそうでないのか、
いちいち、教えてあげなくてはならない。
そんなのおかしいって、いくら言っても、
それが今の世の中、ということなのか。
でも僕は、いつも本気だ、
なんてことを言ってみても、
今までに幾度も自分自身で裏切ってきた、
あの「本気」たちを思い返してみると、
結局は、あの時の本気も、
実は、本気ではなかったのかも知れないと、
そんなふうに、思えてきてしまう。
あるときの一瞬の本気は、
その瞬間には本気でも、そのときの自分は、
本当の自分ではなかったかも知れないのだ。
自分っていうのは、自分の中から見つけるものであり、
そしてそれから、自分自身で守るものである、
そんなことを、誰かが言っていた。
僕の知っているほとんどの人は、
そして僕自身も、
みんな、自分を見つけてはいない。
だから、心の居場所も、自分のやりたいことも、
わからずに、今も、さまよい続けている。

第二篇

2006年01月09日 00時10分01秒 | 詩集『めぐり流れる一つを見すえて』
また一つまた一つ
時が進むたび、
またひとり またひとり
誰かが失われていく

僕は、その人たちのことは
あまり 知らないけれど


いくら 何をどれだけ失っても
何処かで生まれるものは あるのだろうか
この 人間の「営み」は
いつまでも絶え間ない

だけど
本当に生きていた あのはじけた光も
ひとつのカケラを失えば
そこにいるのは 変にリアルな人形だけなんだ


それでもまだ
他の誰かは 変わらずそこにいるし
空は 青く流れている

それでもまた・・・

詩集・第2章『めぐり流れる一つを見すえて』。第一篇

2006年01月08日 02時04分48秒 | 詩集『めぐり流れる一つを見すえて』
1月4日に、祖母が亡くなりました。
85歳、86歳の誕生日を目前に控えた、
突然の別れでした。
今日、告別式を終え、とりあえずこれで49日までは
ひと段落つきました。
僕は祖母ととても仲が良かったので、
とても悲しい別離になりました。

…それでは気を取り直して、
今日からは詩集・第二章に入ります。
これも今から10年ほど前、僕が10代の頃に書いた詩集の中のものです。


  第一篇


あふれた涙、笑顔に伝った。
そんな輝き とても眩しくて

幾千億の人達は
この笑顔で 一つになれる
そのときは 本気でそう思った


なのに どうして人は
奪いあい 殺しあい
いつも 何かを求めて
いつも 手に入れることばかり望んで
どうして
いま 手の中にある喜びを
知ろうとはしないの

まだ 見知らぬ幸せを
手に入れようとする前に
忘れていた ひとつひとつを思い出して
もう一度 しっかりと
握りしめればいい

そして ゆっくりとでいいから
もうひとつを つくりあげてゆきたい


それならきっと
いつだって、
やさしく・つよく・明るく
歩いてゆける。
そう、わたしは信じている。



正しいことなんて、
ひとつもない。

変わらないものだって、
ここにはない。

けれど、
導くものが
見えなくたって、



わたしは、
こうして生きていく。

ほんとの想いをたよりに、
どこまでも歩いてゆく。



そうして、


わたしたちは・・・・




    ・・・めぐり流れる、
        ひとつをみすえて。

第三十二節・第三十三節

2006年01月04日 00時02分26秒 | 詩集『まわる世界の先駆者たち』
第三十二節


    ここには
    勝ち負けも、順位も、力も
    本当は存在していない
    ただ、あるのは、自分に正直な心たち
    そして、その間で生まれてくる物語だけ
    人があとからつくった「真実」は
    実はここには存在していない



  第三十三節


全ては結局 偶然なんだと
寝ころんでるとき 思った日には
未来を造るの ばかばかしくて
導かれようと 決意してみた

頭の上を 流れ過ぎてく
雲のような 自分なのなら
その時目にした 空の景色を
そのままこの星(地)に うつしてみよう

上向く気持ちは 大切だけれど
見失うこと 忘れる気がして
自分が世界の ぜんぶになるなら
浪漫ce なんて ありえはしない

人が世界の すべてになるなら
浪漫ce なんて ありえはしない

明けましておめでとうございます。第三十節、第三十一節

2006年01月01日 23時00分25秒 | 詩集『まわる世界の先駆者たち』

  第三十節



生きることの意味 解らない大人達が
どうして 新しい世代導いてゆくの



  第三十一節


大した努力も知らないまま 本物を知らないままに
早く結果を得ようとする欲望だけは強くて
本当は一歩も進んではいない 何も生み出してはいないのに
感動だけを得ようとするから
みんな揃いも揃って誤魔化してばかりで
子供の頃は ただ笑っていた
        ただ泣いていた
        ただ怒っていた
        本当にただそれだけだったのに
今では自分の気持ちにまで意味を求めて
その笑顔にも あの泣き顔にも 一つ一つに名前がつけられて
いつも自分に夢中にはなれなくて
生きることの意味を探し彷徨うほどに 答えからは遠退いていく気がする
自分に無理して 努力して
焦れば焦るほど もがけばもがくほど 考えれば考えるほどに
生命の力の泉は 澱み 涸れていく
今自分のいる 社会がおかしいのかと
夢の中で思い立っても とうてい一人では生きていけない
朝がやってきて 再び現実の光を見れば
不思議と絶望は 生き抜く希望に変わっているけれど
やっぱり生きるためには嘘をつき続けねばならない
みんな当たり前にやっていることと 頭では解っていても
どちらにも徹しきれない自分に傷付いて
でもそんな自分でいいんじゃないかと思い直したり
そうして色んな思いを抱えたまま また同じ夜と朝とを繰り返す