狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「河野談話を検証」、逆切れの朝鮮日報

2014-06-19 11:52:44 | 県知事選

 

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沖縄県内の「告別式」最新情報

 

 

ボクシングなどの格闘技で、強力なアッパーのKOパンチ一発で相手をノックアウトすれば気持ちのいいもの。

だがノックアウトに拘ると、空振りで逆に相手のパンチを食らうリスクもある。

その点ボディへの連打は一見地味ではあるが徐々にダメージが効いてきて、そのうち相手の動きが止まりノックアウトできるチャンスもある。

現在韓国が日本を攻撃し続けている「慰安婦問題」で、安倍首相が「河野談話」を撤回しさえすれば、慰安婦問題の根拠が崩れ、この問題が一気に解決する可能性はある。

日本のノックアウト勝である。

その一方で、韓国側が世界に撒き散らした嘘の情報を根拠に「慰安婦の像」が各地に建立されている現状で、安倍政権がいきなり政府見解である「河野談話」を撤回したら、理屈を度外視した日本バッシングが世界中で起きるリスクもある。 

あの「橋下発言」のように。

そこで安倍政権は「撤回」というKOパンチの代わりに「検証」というボディブローの連打で、最終的には相手をじわじわと追い詰める作戦を選んだ。

「河野談話」を引き継いだままの「検証」なら世界の世論が感情的に日本バッシングはしないと予測したからだ。

野次馬根性丸出しの世界の目は、「検証」によって次々と明らかにされる「河野談話」の実像を興味を持って見守ることになる。

そこで一番困るのは韓国だ。

「検証」により明らかにされる「河野談話」の真相が、それこそボディブローのように韓国側にダメージを与え、最後にはノックアウト勝ちの可能さえある。

 これに関連し、朝鮮日報社説を紹介してくださった読者のウチナー鬼女さんからコメントを頂いたので紹介する。

安倍総理が「河野談話」を撤回しないが「検証」するといった事にもどかしさを感じていたものですが、意外とというか、相当にGJかもしれないと思う記事があります。確かに「撤回」すれば隣国は炎上どころか爆発するでしょうし、国内反日勢力もこれを機に「安倍政権打倒」を加速させる事は日を見るより明らか。しかし、「検証」となると日本がどんだけ韓国に「配慮」したか、逆に韓国が日本にどんだけ「圧力」をかけてきたのかが明らかになります。そしてその過程と結果を全世界に発信すれば…( ̄∀ ̄)
やることなすことエグすぎる第二次安倍内閣でした(^_^)v

 安倍首相の「ボディーブロー作戦」に真っ先に悲鳴を上げたのが朝鮮日報。

社説で次のように喚いている。

記事入力 : 2014/06/17 09:09

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
 
【社説】河野談話を検証するなら談話を取り消せ

 日本の安倍内閣はこれまで「河野談話」の検証を進めてきたが、その結果が今週末にも発表される予定だという。1993年に18カ月かけて調査を行い、当時の河野洋平・官房長官が発表したこの談話で、日本政府は初めて慰安婦を強制的に動員した事実を認めた。河野談話はかつての日本によるアジア侵略および植民地支配全般について謝罪した村山談話と共に、これまで20年間にわたり韓日関係を支えてきた二つの大きな軸のうちの一つだった。ところが安倍内閣は2012年12月に発足した直後から、機会あるたびに河野談話の根本的な趣旨を覆そうとしてきた。しかも今年に入ってからは談話が発表されるまでのプロセスについても検証すると表明していた。

 日本のメディア各社は「河野談話は韓日間における政治交渉の産物」という趣旨の内容が含まれそうだと報じている。例えば河野談話の中の「慰安所は当時の日本軍の要請によって設置されたもの」という文言のうち、「要請」という表現は本来「意向」だったが、韓国側がこれを「指示」とするよう求め、最終的に「要請」という形で落ち着いたという。また日本政府が談話を作成する際に韓国人の元慰安婦16人から聞き取り調査を行ったことについても、「韓国側の要請を受けて実現した」という内容が含まれる可能性があるという。つまり河野談話は客観的・歴史的調査に基づくものではなく、韓日間の政治交渉あるいは韓国側の圧力により生み出されたものと言いたいようだ。

 韓国政府は当時の資料に関する調査に協力はしたが、妥協を求めることや、文言についての話し合いを行ったことはなかったと反論している。仮に日本の主張通り両国の実務担当者の間で部分的な協議があったにしても、重要なのは、外交交渉の課程で常に行われる実務者間協議の内容までほじくり返し、河野談話の根本的な内容を覆そうとする安倍内閣の意図だ。安倍内閣は今回、河野談話の検証結果を発表することを通じ、慰安婦動員の強制性を認めている日本政府の公式の立場を覆す意図があるのだ。慰安婦問題は世界メディアの怒りを呼び起こした代表的な事案だ。そのため今回の検証結果の発表により、日本政府は今の追い込まれた状況から逃れようとしているのだ。

 韓国と日本は現在、米国の仲裁によって対話に向けた環境を少しずつ造成し始めている。ところが安倍内閣が河野談話作成過程における外交交渉の内容まで自分勝手に解釈し、その結果を一方的に公表するのであれば、韓日間の外交関係について事実上の断絶を宣言するようなものだ。今回の検証結果発表は日本自ら韓日間の外交が成立する基盤を否定する形になるからだ。日本は河野談話の検証結果が韓日両国の外交関係を後戻りできない破局に追い込む危険性があるという事実を忘れてはならない。この結果、韓米日3カ国による安全保障体制まで崩壊する結果を招いてしまえば、その責任は全面的に安倍内閣にある

                 ☆

ボディーブローの連打によるダメージを恐れた朝鮮日報の逆切れには笑わせてくれる。

「河野談話」の「検証」で動きが取れなくなるのが怖いんのだろう

 

【動画】2013-06.02 田原総一朗×ケビン・メア×片山さつき×池田信夫「日韓の歴史問題 慰安婦」-1

 

 

【おまけ】

筆者は「橋下発言」当時から既に橋下徹氏に対し三行半を突きつけていたが、この度「日本真性保守党」を旗揚げした田母神俊雄氏も「橋下徹さんは真の保守ではありませんでした」と明確に発言している。

憲法改正などと言ったら諸外国から変な目で見られますよ」などと発言する結いの党と連立を組む橋下氏に呆れたようである。
 
ちなみに石原慎太郎共同代表が橋下氏と袂を分かった理由も日本維新の会と結いの党との連立にある。
 
元航空幕僚長・田母神俊雄が「日本真正保守党」を旗揚げ!
 
 
 昔から私は大きな目標を持つのが大好きです。この真保党の結成も私が1人で決めただけの話で、賛同者などは、全てこれからとなります。誰とも相談しておらず、スケジュールも白紙状態です。
 
 現職のセンセイ方は「国会議員でもない人間が新党を立ち上げてもうまくいくわけない」と思うでしょうが、意志のないところに成功はありません。必ず失敗すると決まっているわけでもないので、挑戦する価値は十分あると思っています。
 
 石原新党との合流は、近い将来考えていますが、政界再編はどのようになるかわかりません。まずは新党を立ち上げ、党をまとめるのが先決です。そのうえで、石原慎太郎さんを筆頭に平沼赳夫さん、西村眞悟さん、三宅博さん、中山成彬さん、山田宏さんら真正保守の方々と一緒に行動できれば、これまでの第三極を巡る離散集合をせずに、うまくいくだろうと思います。楽観的であることも成功の大きな要因です。
 
 実は、(分党前の)旧「日本維新の会」には、自民党を叱咤激励する役割を期待していましたが、残念ながら橋下徹さんは真の保守ではありませんでした。
 
 「憲法改正などと言ったら諸外国から変な目で見られますよ」と発言する結いの党と連立を組む方に日本の再生など不可能です。
 
 日本は2674年という長い期間、天皇陛下を中心として、同じ民族が同じ土地で歴史を紡いできました。その間、政治、経済、金融、雇用などにおいて多くの人が幸せになれる形が作られてきましたが、20年ほど前からアメリカ発のグローバリズムを担ぐ人が現れ、「アメリカに合わないシステムは壊そう」と、日本のあらゆるシステムをぶち壊してきました。それにより日本のよさがどんどん失われています。「改革」は日本ぶち壊しのかけ声でした。改革でよくなったものはゼロだと思います。
 
 例えば昔は、父の財産を長男が受け継ぎ、親の面倒を見て先祖代々の墓を守ってきました。しかし、こうした家督相続制度も壊されました。核家族化が進んだ結果、子供がおじいちゃんやおばあちゃんと触れ合わず、きちんと教育されなくなった結果、我が子を虐待したり、子供が親を殺すようになっています。年金や介護の問題が起きているのも家督相続制度、大家族制度が壊されたことに起因していると思います。
 
 今、東京では独り暮らしのお年寄りが70万人おり、20年後には100万人を超えると言われています。亡くなっても1週間も2週間も気づかれない、そんな町であっていいわけがありません。昔ながらの、隣近所が助け合う町作りが必要です。
 
 都知事選でも、同様の公約を掲げましたが、有権者の方々からは、拍手喝采を受けました。私と意見を同じくする日本人は、数多くいることでしょう。
  
 
元航空幕僚長・田母神俊雄が「日本真正保守党」を旗揚げ!
(1)“裸一貫”で活動をスタート
Posted on 2014年6月13日 ◆アサヒ芸能6/10発売(6/19号)
 
 かねてから新党結成の噂が絶えなかった元航空幕僚長の田母神俊雄氏が、ついに新党「日本真正保守党」を立ち上げることを明らかにした。今年2月の都知事選では、61万票を獲得し、国政への意欲を示していただけに、政界再編への期待も高い。中国との緊張も高まる中、憂国の士は何を思うのか。独占直撃する。
 
 5月末、私は講演で、ブラジルを訪れました。その講演先で、私はブラジル在住の日系移民の方々から熱烈な歓迎を受けました。参加者の一人からも涙ながらにこんな訴えを聞きました。
 
 「日本はアメリカや中国、韓国から文句を言われるとすぐにへこたれる。どうして強い日本にならないのだ。中国や韓国の言うことのほうがおかしい。総理の靖国参拝ができない、慰安婦強制連行など事実でないことで責められる。祖国が残虐だったなどと言われたら、私たちは祖国を隠して生きていかねばなりません。どうか誇りある日本を取り戻してください」
 
 祖国日本を思う気持ちは実に熱いものでした。こうした声を耳にして、新党の設立を決意したのです。かねてより政界進出については考えていましたが、日本を愛する皆さんの気持ちが、今回の決断に至った最大の後押しとなりました。
 
私は今65歳ですが、病気さえしなければ、あと15年ぐらいは頑張れるでしょう。残りの人生を国政に懸けようと決心したわけです。
 
 そう熱い思いをブチまけるのは、週刊アサヒ芸能「田母神大学校」で連載中の田母神俊雄元航空幕僚長だ。かねてから、日本の防衛・外交などについて積極的な発言を続けてきた田母神氏だが、今月2日の講演で新党「日本真正保守党」(以下「真保党」)の立ち上げを宣言。次期国政選挙に向けて活動することを発表したのだ。これまで「田母神新党」待望論が出てきたが、今後は、「日本維新の会」の分党による野党の政界再編なども視野に入れ、幅広い政治勢力との結集を目指す構えだ。
 
 (今年2月の)東京都知事選のあと、全国の支持者から「田母神新党を作って立ち上がってほしい」との要望がたくさんありました。最終的に61万票をいただきましたが、それは全国で相当数の方が「今の日本ではダメだ」と感じている証しだと思います。
 
 今、自民党は腹黒い諸外国の脅威に対応しようと集団的自衛権の解釈変更について、国会で議論を進めています。そうした中で、集団的自衛権の行使における事例集を作り、「これはOK、これはダメ」と国民にわかる形で議論しようとしていますが、これは相手に作戦計画を教えるようなもので、根拠規定(ポジティブリスト)で動く自衛隊のシステムともども、本当にバカなことです。
 
 どうして自民党はこんなことすら気づかないのでしょうか。国の守りを真面目に考えることよりも、やっているフリをすることのほうが大事なのです。安倍総理を筆頭に正しい考えを持つ政治家はいるものの、与党内には左派もおり、一枚岩ではありません。そこで、自民党の右側にしっかりとした柱を立て「自民党よ、安倍総理よ、もっとしっかりやれ」とする健全野党が必要なのです。それが「真保党」結成の目的です。
 
 ましてや、自公連立政権にも限界があります。公明党は今や“与党内野党”です。石原新党や田母神新党が自民党と連立できれば公明党を切り離せますし、そうなって初めて日本を取り戻せると思います。
 
 いわば、現在の安倍政権による「安心を取り戻す」政治、ひいては「積極的平和主義」の実現のために、必ずや真保党を成功させなければいけないと覚悟を決めています。まずは、“裸一貫”で2年後の国政選挙に向けて活動をスタートさせるというのが当面の目標です
 
 
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御知らせ■

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日本と台湾は運命共同体、沖縄はその絆の中心たれ!

黄文雄先生の講演会があります、学生以下無料です。

若い世代にも是非聞いて頂きたい内容です。

 

日時:6月21日(土)開演18時30分(開場18時)

会場:沖縄県立博物館美術館 講堂

会費:500円(学生以下無料)

講演者:黄 文雄氏

演題:自由アジアの生命線、日本と台湾の絆は慰霊碑建立から

 

 

 第四回「島守・防人に感謝する集い」、「殉国沖縄学徒顕彰六十九年祭」

【日 時】平成26年6月23日(月) 13:30~

【ところ】沖縄県護国神社 大ホール、社殿

※参加費無料(カンパ大歓迎でございます。)

 沖縄戦は壮絶を極めましたが、鉄血勤皇隊や通信隊、また、ひめゆりなどの学徒看護隊は家族と郷土を守るべく、自らの意志で沖縄戦を戦ったのであり、その思いを無視することこそが、戦争の歴史の風化へとつながると思います。
 集団的自衛権行使が容認されれば、「戦争する国になる」、「沖縄戦の悲惨さが繰り返される」等と、現在の問題と短絡的に結び付けたり、イデオロギーに囚われた目で見るのではなく、壮絶を極めた沖縄戦の事実や、学徒隊の方々の思いをありのままに記憶することが大事ではないでしょうか?
 慰霊の日に、我々沖縄の大学生で、沖縄戦を戦われた学徒の方々に「鎮魂と敬いの心」を捧げる顕彰祭を行います。お気軽にご参加くださいませ。

【主催】琉球大学公認サークル「沖縄から日本を考える学生の会」(実行委員長:琉球大学3年 野田拓志)
【お問い合わせ】070-5279-1139(部長:外間) new.okinawa.proud.japan@gmail.com



天皇陛下奉迎沖縄県実行委員会からの御知らせ


天皇陛下、皇后陛下のご来県が今月26日(木)、27日(金)に予定
されています。


昭和19年8月22日の学童疎開船「対馬丸」の事件より70年を迎える本年、那覇市若狭の「小桜の塔(対馬丸慰霊碑)」と「対馬丸記念館」を慰霊の為ご訪問されます。

下の予定表をご参考に、出来る限りご参加くださいませ!!
6月26日(木)
集合時間
13:00    那覇空港国際線ターミナルビル1階(ANA側)
13:30    安次嶺交差点、赤嶺交差点、瀬長交差点
13:40    西崎球場前、JAファーマーズ前、糸満市役所前
13:50    平和記念公園中央口(入り口付近)
14:10    平和記念公園中央口(入口付近)
14:20    西崎球場前、JAファーマーズ前、糸満市役所前
14:30    豊崎にじ公園の向かい側
14:35    瀬長交差点
14:40    沖縄産業支援センター前
14:45     明治橋交差点~旭橋交差点間の歩道(琉球銀行側)
6月27日(金)
集合時間
9:30  松山公園前(那覇商業高校付近)
9:30  若狭中通り(「味の店三郎」側)
9:35  波之上自動車学校前
11:20   久米交差点(若狭大通りの公園側)
11:20  松山公園前(那覇商業高校付近)
13:00 県民広場(県庁前の広場)前の歩道
13:00 明治橋交差点~旭橋交差点間の歩道(県庁側)
13:05 産業支援センターの向かい側
13:15  那覇空港国内線ターミナルビル1階(ANA側

 

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コメント (1)

那覇高生の恩人、高山大尉

2014-06-19 05:36:13 | 県知事選
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沖縄県内の「告別式」最新情報

 

 

校歌に戦禍 込めた願い 那覇高生が学ぶ2014年6月18日 09:18

覇高校校歌

那覇高校校歌

世紀の嵐吹きすさみ 故山の草木貌(かたち)変え-。県立那覇高校の校歌の1番は「世紀の嵐」という沖縄の戦禍で始まり、故郷の山河、草木も変わり果ててしまった、と歌う。2、3番は復興などがテーマで、校名の「那覇高校」は4番で初めて登場する。「なぜこのような歌詞になったのか」。慰霊の日を前に、校歌を通して沖縄戦を考える授業が17日、同校であった。(西江千尋)

 全校生徒を対象にした特設授業で、歌詞とその意味を載せた資料などを基に校歌の成り立ちを各クラスで話し合った。

 初めて校歌の意味を知った生徒がほとんど。「戦争で全部奪われた苦しみを伝えたかったからじゃない?」「変わり果てた沖縄のありのままを表現して、忘れないようにしたと思う」とさまざまな意見が交わされた。

    

上記の那覇高校は筆者の母校であり、その前身は戦前の県立二中である。

現在の那覇高生は、各クラスで校歌の歌詞の意味について話し合った結果「初めて校歌の意味を知った」というが、筆者の在学当時は歌詞の冒頭の「世紀の嵐吹きすさみ 故山の草木貌変え」の意味が先の戦争のことを歌っていることくらい皆承知の上で歌っていた。 半世紀以上経った今でも歌詞を諳んじて歌えるくらいだ。

歌詞の意味を今頃勉強するのも結構だが、二中の先輩の戦死者の数が、一中(現在の首里高校)のそれに比べて極端に少ない理由は、当時二中に配属将校として赴任していた高山大尉のおかげだということを那覇校生はほとんど知らない。

改めて高山大尉について学ぶべきだろうが、かく言う筆者も恥ずかしながら那覇高校在学当時には、その事実を知らなかった。 ネットが普及するようになって初めて、その事実を知った次第である。

当時から二中学徒の命の恩人である高山大尉について報じるメディアはなかったからである。

沖縄メディアにとって、県民の命を救った日本兵のことを報じるのは、「社の方針」に合わなかったのだろう。

以下は 過去ブログの再掲であるが一部読みやすいように編集してある。

二中の恩人高山大尉 2010-09-02

戦後65年にもなると物故した戦争体験者も多く、また当時幼なかった体験者がおぼろげな記憶をもとに口を開く場合も多いので沖縄戦の真相を解明するのがますます困難になってきている。

次に引用するのは琉球新報に掲載された記事で、琉球王国の血筋を引く日本軍将校が沖縄戦で亡くなって、その骨を拾ったという元農林学校・大城さんの証言である。

65年後 遺族と対面 元農林学徒・大城さん2010年6月21日       
 沖縄戦当時、県立農林学校生徒で農林鉄血勤皇隊として動員された大城仁光さん(80)=糸満市=は、米軍との戦闘で亡くなった農林隊の配属将校だった尚謙少尉の遺族と戦後65年目に初対面を果たした。
大城さんは当時、亡くなった尚少尉の遺骨を取りに戦場に戻るよう命令を受けており、琉球王家の血を引く尚少尉の最期を知る数少ない生存者の1人。大城さんは8日に那覇市首里にある尚家の神ヤーを訪ね、尚少尉のおいに当たる桃原農園社長の尚厚さん(72)と対面し、尚少尉の位牌(いはい)に手を合わせて冥福を祈った。
 尚少尉に率いられた農林隊は、東村内福地で米軍の猛攻を受けた。15歳の少年だった大城さんは岩陰に隠れて銃撃を逃れたが、尚少尉ほか10人が亡くなった。
 大城さんは内福地を離れた後、東村有銘で二中隊の配属将校、高山代千八中尉から尚少尉の遺骨を取ってくるよう命令を受けた。2日間かけて内福地に戻り、半ば白骨化した尚少尉の体から鎖骨を取り川で洗い清め、白い布にくるんだ。有銘に戻り高山中尉に遺骨を託した。その後、高山中尉は本土に帰ったという。「遺骨はちゃんと家族に届けられたのか」。役目を果たせたのか心にずっと引っかかっていた。
(略)(慶田城七瀬)

                        ◇

沖縄紙で沖縄戦関連の記事を読むほとんどの読者は、大体次のような先入観を持つ。

「戦前・戦時中の日本軍は残虐非道であり、一方敵であるアメリカ軍は人道的であった」と。

事実、そのような意味のことを平気で書く識者もいるし、それを掲載する新聞もあるくらいだから、無意識のうちに「日本は沖縄住民を虐殺に来たのだが、米軍が解放軍」という錯覚に陥る読者もいるくらいだ。

沖縄紙が報じる沖縄戦は終始「日本人(日本軍)vs沖縄住民」という対立構造で描かれている。

日本軍の中にも、例えば『鉄の暴風』に登場する知念副官のように、多くの沖縄人がいたことは事実だが、たいてい悪役として描かれている。

沖縄戦史を研究している星雅彦氏によると、沖縄戦体験者の聞き取り調査の過程で日本軍の行った「善行」はすべて公的刊行物から削除され、

中には父親を米兵に虐殺された証言者が、射殺したのは「アメリカ兵ですよ」と何度も繰り返し念を押したにもかかわらず、実際は公的刊行物に「日本兵に射殺された」と記載されたという。

上記琉球新報記事には、琉球王家の血を引く尚少尉と高山大尉に関わる記事だが、本稿の主題は戦死した尚少尉ではなく、その骨を拾った高山大尉についてである。

ここで、ひとつの疑問が生じてくる。

尚少尉が県立農林学校の配属将校として北部地域に居たことは理解できるとしても、那覇の県立二中(現在の那覇高校)の配属将校である高山大尉が北部に居たのには何かわけがあるのか。

南部戦跡にある「沖縄師範・健児の塔」や首里高校内にある「一中・健児の塔」でもわかるように、沖縄の学徒は第32軍とともに南部に移動したはずだ。

従って沖縄師範や県立一中、さらに「ひめゆりの塔」の県立一高女や「白梅の塔」県立二高女の学徒も皆南部に移動したため多くの死傷者を多く出したことが知られている。

沖縄師範健児の塔

一中健児の塔

それに比べ県立二中だけが那覇にある学校でありながら、北部に移動したため比較的死傷者が少なかったといわれている。

そのためか、「二中健児の塔」が現在どこに建立されているかを知る県人は少ないし、二中や那覇高校関係者でさえもほとんどが知らなかった。

現在、那覇高校、二中卒業者の間で「創立100周年行事」が10月におこなれるための準備が着々と進んでいるようだが、何ゆえ二中だけが第32軍の命令に逆らって北部に移動し、そのため死傷者が少なかったのか、その理由を知る人は少ない。

実は当日記は、三年前に、その謎を解く記事をエントリーしているが、改めて高山大尉について取り上げる気になったのは、先月の8月15日の終戦の日に、高山大尉の親族の方からメールを戴いたからである。

偶然に当日記の古いエントリー見て、(お祖父さんにあたる)高山大尉の奥様(お祖母さん)見てもらったところ涙を流して喜ばれたという。

その記事を紹介する前に、関東在住の那覇高、二中出身者の同窓会である「関東城岳同窓会」の中にその謎を探ってみた。

以下引用です。

太平洋戦争と県立第二中学校
 沖縄におけるあの過酷な地上戦は当然のことながら二中の生徒達の頭上にも等しく襲い掛かった。しかし、女子師範・一高女の”ひめゆりの搭”、二高女の”白梅の搭”、一中の”健児の搭”に相当するものは幸運にも二中にはない。
 伝えられる所によると、二中は南部の高嶺村に配置される予定だったが、
ガダルカナル生き残りの配属将校高山大尉が「南へ行くとあぶない、北へ行こう」と指示、山城篤男校長(5代校長)もそれに呼応し、「いったん家に帰って肉親と別れを惜しんで来い」と帰省させたが、そのころには、首里、那覇のそれぞれの家族はみんな国頭に疎開していたため、疎開先の国頭に会いに行ってしまった。そのうち米軍の上陸で島が南北に両断されて、戦闘に参加出来ず、そのまま終戦を迎えた・・・と。

太平洋戦争の終結と共に我等が沖縄県立第二中学校は歴史の彼方に去っていった。

 つづく

 

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御知らせ■

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日本と台湾は運命共同体、沖縄はその絆の中心たれ!

黄文雄先生の講演会があります、学生以下無料です。

若い世代にも是非聞いて頂きたい内容です。

 

日時:6月21日(土)開演18時30分(開場18時)

会場:沖縄県立博物館美術館 講堂

会費:500円(学生以下無料)

講演者:黄 文雄氏

演題:自由アジアの生命線、日本と台湾の絆は慰霊碑建立から

 

 

 第四回「島守・防人に感謝する集い」、「殉国沖縄学徒顕彰六十九年祭」

【日 時】平成26年6月23日(月) 13:30~

【ところ】沖縄県護国神社 大ホール、社殿

※参加費無料(カンパ大歓迎でございます。)

 沖縄戦は壮絶を極めましたが、鉄血勤皇隊や通信隊、また、ひめゆりなどの学徒看護隊は家族と郷土を守るべく、自らの意志で沖縄戦を戦ったのであり、その思いを無視することこそが、戦争の歴史の風化へとつながると思います。
 集団的自衛権行使が容認されれば、「戦争する国になる」、「沖縄戦の悲惨さが繰り返される」等と、現在の問題と短絡的に結び付けたり、イデオロギーに囚われた目で見るのではなく、壮絶を極めた沖縄戦の事実や、学徒隊の方々の思いをありのままに記憶することが大事ではないでしょうか?
 慰霊の日に、我々沖縄の大学生で、沖縄戦を戦われた学徒の方々に「鎮魂と敬いの心」を捧げる顕彰祭を行います。お気軽にご参加くださいませ。

【主催】琉球大学公認サークル「沖縄から日本を考える学生の会」(実行委員長:琉球大学3年 野田拓志)
【お問い合わせ】070-5279-1139(部長:外間) new.okinawa.proud.japan@gmail.com



天皇陛下奉迎沖縄県実行委員会からの御知らせ


天皇陛下、皇后陛下のご来県が今月26日(木)、27日(金)に予定
されています。


昭和19年8月22日の学童疎開船「対馬丸」の事件より70年を迎える本年、那覇市若狭の「小桜の塔(対馬丸慰霊碑)」と「対馬丸記念館」を慰霊の為ご訪問されます。

下の予定表をご参考に、出来る限りご参加くださいませ!!
6月26日(木)
集合時間
13:00    那覇空港国際線ターミナルビル1階(ANA側)
13:30    安次嶺交差点、赤嶺交差点、瀬長交差点
13:40    西崎球場前、JAファーマーズ前、糸満市役所前
13:50    平和記念公園中央口(入り口付近)
14:10    平和記念公園中央口(入口付近)
14:20    西崎球場前、JAファーマーズ前、糸満市役所前
14:30    豊崎にじ公園の向かい側
14:35    瀬長交差点
14:40    沖縄産業支援センター前
14:45     明治橋交差点~旭橋交差点間の歩道(琉球銀行側)
6月27日(金)
集合時間
9:30  松山公園前(那覇商業高校付近)
9:30  若狭中通り(「味の店三郎」側)
9:35  波之上自動車学校前
11:20   久米交差点(若狭大通りの公園側)
11:20  松山公園前(那覇商業高校付近)
13:00 県民広場(県庁前の広場)前の歩道
13:00 明治橋交差点~旭橋交差点間の歩道(県庁側)
13:05 産業支援センターの向かい側
13:15  那覇空港国内線ターミナルビル1階(ANA側

 

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