快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -   ケルマ ディック諸島エリアでMw7.2の地震発生

2019-06-16 12:51:41 | 地震 津波
 今日(UTCでは先日)はケルマ ディック諸島エリアでMw7を超える目立つ地震が発生しました。
 EMSCのデータでは次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

019-06-15 22:54:59.2
4hr 32min ago
             30.84 S  178.02 W    10  KERMADEC ISLANDS, NEW ZEALAND

引用終了


 Mw5以上の余震もいくつか発生しているようです。
 当ブログでは「ケルマ ディックの傾則」「ケルマ ディック諸島エリア」などの用語を使って以前に何度かケルマ ディック諸島エリアの目立つ地震と日本を含むエリアの目立つ地震について記事で書いて来ました。
 大手検索サイトで「快気分析 ケルマ ディック諸島」や「快気分析 ケルマ ディックの傾則」などで検索すればいくつかの記事はヒットするかと思いますが検索でヒットしない記事も更に有るかもしれません。
 月齢的にも明日は小さめながらも満月で、やはり多くの要素を考えるとどちらかと言えばと言う程度ですが当分は要注意かと考えています。
 そして次の新月である来月3日とその前後期間もまた注目です。
 日本を含むあのエリアのMw7以上の地震空白期は2016年4月16日の熊本地震を最後に、今日で既に3年2ヶ月を超えました。
 地殻やプレート、そしてそれらの境界などでの歪は果たしてどこでどれだけ溜まっているのか、そしてこの長い空白期はいつどこでどの程度の地震で終了するのか・・・100%確実な事はわかりません。

仕組みとアプローチ -  本能寺の変 家康が信長に会いに来ているタイミングで届いた秀吉からの毛利攻め援軍要請を疑う

2019-06-16 07:56:28 | 明智光秀
 秀吉からの毛利攻め援軍要請が信長に届いたのは、本能寺の変の前である5月15日であり、それは家康が信長から接待を受けていた時でした。
 このタイミングについてはそれはたまたま偶然そうなった、と解釈してしまえばそれまでですが、個人的には信長襲撃を目論むグループがあるシナリオを描いていたとしたらそれはまさに絶好のタイミングとなったはずと考えてしまうので記事にしてみました。
 そのシナリオとは次の通りです。
 
 家康が信長の所に来ている最中と言うタイミングで秀吉から毛利攻め援軍要請が届く。
 それが足利義昭を追い詰め、義昭が旧室町幕府奉公衆らに何としても信長・信忠襲撃を討ち、毛利攻めを阻止させる為の絶対命令が発令される事がわかっていたのに(いたので?)秀吉は援軍要請した。
 当然、秀吉は援軍要請の理由作りのために毛利氏側と打ち合わせの上で毛利氏に大軍を動員させた。
 毛利攻めの準備がなされていざ出陣、とあらば仮に畿内で毛利攻め部隊の中にいた信長襲撃部隊が京都へ向かっていても周囲からでも、或いは部隊内部からでも信長からの大号令がかかって出陣式に集合する為かとも思えるので違和感はなかったはず。
 そして仮に京都で戦闘準備の指令が出て戦闘用武具を装着する命令が出ても、それは家康が京都へきていたのなら信長襲撃部隊を京都へ行かせても家康襲撃と兵らに思わせる事ができる。(家康が堺に行っている事は殆どの人は知らなかったはず。)
 なので信長襲撃部隊の一般兵から逃げ出す者や通報する者はおらず、更に本能寺でも信長を直接狙うのはごく一部の者だけにして他の兵らは信長を討っているとはわからないようにする。
 信長の護衛の者達もセキュリティ上、信長がここにいるとは言わないはずであり、この状況なら襲撃側の末端兵は誰を襲撃しているのかはわからないまま戦闘に参加させられる。

 以上が信長襲撃グループが描いたシナリオで実際にこれが実行されたとすると記録に残る史実と辻褄が合ってきます。
 果たして真相はどうだったのでしょうか。