去っていく女達は、皆ベロを出すのであった。
今日は、ヒロクニさんは夕食を食べながら、話まくる。
食事が終わっても、話は長々続く・・・。
わたしは、この頃、忙しいから、食事が終わるとすぐ用事に直行の上、ヘッドホンをかけて集中体制に入り雑音をブロックしているからか、凄くよく喋る。絵の話や、今の自分のジレンマや、昔の恋人の話やら、「ルソー」の話や、Can(バンド)の話や、料理の話(どんなものが次ぎ食べたいとか)や、今日買った辛子明太子は美味しいとか、くだらない事から難しい話のオンパレード。
「ルソー」の話では、ジャン=ジャック・ルソーか?アンリー・ルソーのことか?ジャン=ジャック・ルソーは「自然に帰れ」と言った、フランスの近代の思想家だった。それと同時に関係ない「ソロー」の森の生活(この著書はジョン・ケージに影響を与えた)がわたしの頭の中で急に絡まりつつ、素朴派の画家アンリー・ルソーも頭に浮上してきて、聞きながら、どの人物のことを話しているのか?と困惑した。ヒロクニさんの話の分かりにくいところは、主語をはっきり言わないところだ。日本の王朝時代の古典のような話し方をするので、途中で眠くなる。
ジレンマは、いつも紙の話。色鉛筆で紙に絵を描いていくと、「紙が膨れる」らしい。それを、どうにかしたいらしい。
「CAN(ドイツのバンド)の音は、いつも立ち現れる」と言う。????わたしは、眉間に皺をよせる。
「ギリシャ大使館に勤めている恋人がいてね」「大使館に勤めてるくらいだから綺麗でね」「どうしてあまり会わなかったのかなぁ」「中身がない人の場合は、綺麗な人がいいね」「絵を描くのに忙しくて疎遠にしちゃったなぁ」「今は、ねぇ。年取ったせいか、そんなにマメなことは出来ない」と仰る。今日、ヒロクニさんの昔の恋人が1人増えた。昔の恋人達の話を聞きながら思ったのですが、恋したことない人っているのだろうか?という疑問だ。頭だけでは、恋は出来ない。恋すると世界がキラキラと輝いたり、違う自分を発見したり、悩んだり、相手のことを考えたり、自分をどう表現しようかと思ったりして、成長する。辛い恋も、楽しい恋も心の栄養になる。純粋に恋をしたことがない人って考えたら怖い。わたしは、心の中にいつも大切にしまっています。
ヒロクニさんは自分の気持ちばかり話すところを見ると、案外女性の気持ちはまるで解ってない人のような。何人の女性が「振向いて、ベロを出して去って行った」か、全く解らないのだろうと思う。わたしだって、ニコニコ笑顔で「そうだね。」と言った後で、「ベーだ「と何度、舌をだし、すぐ澄ました顔をしているのを知らないのだ。
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