この作品は、かなり古い。
35年前、1985年作ぐらいではないか?と推測します。
この絵は、ガラス絵です。
ガラス絵を描いていた時期は、ヒロクニさんが40代~50代の始めの頃になります。
ガラス絵の描き方を教えてもらった記憶があります。
秘伝らしいから、詳しくは書きませんが、アクリル絵具を使って描きます。
仕上げに裏打ちのように白色を塗りますが、この時の絵具の配合が秘伝なのです。
今日は、ディストピア小説についての雑感を書いたので、
絵もそれに近しい感じのものを選びました。
骸骨、色調、雰囲気に重苦しいものを感じさせる作品で、
テーマのディストピアにはぴったりではないでしょうか?
実際に、ヒロクニさんにとって重苦しい時期、苦節の時に描かれたものになります。
暗い色調ですが、野太い印象があり、力を感じさせる絵だと思っています。
どんな状況下でも、なげやりにならずコツコツ絵を描く姿も思い浮かべてみる。
ヒロクニさんらしい。
世界中がコロナに翻弄されながら、時間が進んでいってます。
その発生元の中国(中共・チャイナ)のありさまは、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」を彷彿させる。
近年、オーウェルの「動物農場」も読みかえした。
ジョージ・オーウェルは、イギリスの作家で、社会派の小説家です。
初期は、ルポルタージュが多く、客観的な目線によって書かれているので、
その客観的な文章が読み続けられている要素だと思います。
私は、「パリ・ロンドンどん底生活」を始めに読んで、次に「カタロニア讃歌」を読んだ。
「カタロニア讃歌」の中で、オーウェルは、毎日、銃殺で人を処刑する場面を見ていて、
「なんて酷いことだ。」と思い見ていたのが、来る日も来る日も見ている内に、
パタパタと倒れていく人の様子が、ゲームのように面白く感じるようになって、
楽しむようになってきた自分の心の変化に、当惑し、人間の心の怖さを感じたと記されている部分があり、
この一文が、忘れられない。
読んだのは、20代だったと思いますが、今でも覚えています。
オーウェルは、始め社会主義者(共産主義)だったのですが、その危険性を感じ、警告を鳴らした作家です。
今、まさに小説「1984年」の如くの世界が、中国(中共、チャイナ)によって実現されようとしている中で、
私達は、同時空間で過ごしています。
小説「1984年」は、ディストピア小説。
ディストピアの反対は、ユートピアなので「暗黒世界」というイメージでしょうか?
香港を見ても、チベットを見ても、ウィグル人の弾圧を見ても、
ディストピアそのものじゃないですか。
中国(中共・チャイナ)では、コロナの危険性を訴えた中国人医師を逮捕して牢屋にぶちこんで、
ウイルスの発生を隠喩しようとして、どうしても隠し切れなくなってから、
その医師を最前線で働かせて、殉死した英雄として、報道していた。
その医師は、本当に危険をしらせようと、動画を投稿していたので、よく覚えています。
顔立ちのきれいな男性でした。(ツイッターで、何度もまわってきたので。)
今、たくさんの死者や困窮状態を世界にまき、世界をズタズタにしているコロナ感染症は、
WHOが、中国(中共・チャイナ)の思惑通りに動いて、非常事態宣言をなかなか出さず、
世界に広めたのと違うの?
WHOに入れてもらえなかった台湾だけが、WHOを無視できたから、
コロナ封じ込めに成功したことが、それを物語っている。
それに、テレビの報道って、コロナの不安を必要以上に煽っているような気がするのです。
PCR検査をする回数が多くなればなるほど、コロナ感染人数は比例して上るのは当然なので、
その辺のことも報道してくれないとわからない。
うちのセンセイ、ヒロクニさんが、またもやコロナのことで不安になったらしく、
理論崩壊した不安を語られて、だんだん口論になって言葉を荒げたら、
「君って、周りにいい奥さんて僕は言っているけど、
本当は、言葉が乱暴でひどい人だとは、周りの人は知らないよ。言ってやる。」とか言うから、
よけいイライラした。その言っている姿が、なかなか憎憎しい。
私には、テレビの印象操作に操られているのが、手に取るようにわかるのですが、
説明しても、芸術家というか、文系脳というのは、分析とか、化学的な根拠とか、冷静なロジックとかを
きっちりとらえて判断することに重きをおいた発想が苦手なようで、イメージとか、
すでに感情に支配されてしまっていたり、思い込んだ方を向き、そこから離れようとしないので、
説明が飲み込めないらしくて、往生します。
情報格差で、家庭不和というか口論なんです。
私はテレビの報道は、いつも不完全すぎると思っています。
(肝心なことは、隠していたりする)
そして、いつも、思惑を含んでいる。
時々、犯罪レベルな報道があって、よくやるなぁ~と思っています。
そのことをヒロクニさんに、言うと嫌な顔される。これにまたガックリ。
たぶん、自分が見ている認識を否定されることが不愉快なんだと推察。
だれでも、考えを否定されるのは面白くないだろうと思い、あまり言わないようにしているが、
私もこれは酷すぎるのではと思ったら、つい言いたくなってしまっているのです。
「言いたい」という感情に支配されているのだと、自身を反省します。
感情的になっている部分を反省します。
テレビの報道は、オーウェルの「1984年」に出てくる、“テレスクリーン”、洗脳番組とどう違うの?と思うのです。
この小説なかなかよく出来ているのです。
それとまた、人の想像力というのは、割と限界があって、自分の知識の範囲でしか想像は広がらないのが悲しい。
私もいつも正しく判断しているという自信はない。
明らかにこれは間違っていると思う時は、ちょっと自信がある。
明確である時と、たぶんそうなんだろうな?という憶測の違いが歯がゆい。
書物や映画にディストピアというのは、多くあります。
有名なものを上げると、
■「すばらしい新世界」オルダス・ハクスリー著
こちらは、はじめて読んだディストピア小説。中学時代に読んだ。
未来は明るいと思っていた思惑を外された初めての小説だったので、不意一をくらいとても心に残りました。
■「時計じかけのオレンジ」アントニイ・バージェス著
映画を見ただけ。
■「審判」フランツ・カフカ著
不条理をえがいた最たる小説。「変身」という小説も不条理な世界でした。
カフカは、小説家として凄いと思っています。
■「蠅の王」ウィリアム・ゴールディング著
これは、無人島に漂流した少年達が、ルールを作り平等な集団生活を送ろうとするが、
それぞれの我欲に振り回され、争いにより、悲惨な結末に・・・・。
■「華氏451度」レイ・ブラッドベリ
レイ・ブラッドベリは、この小説以外のSFにのめっていました。
この小説は、オーウェルの「1989年」に一番近しい小説です。
ユートピアを夢みるには、現実問題をじっくり鑑みないと、失敗するし、
ディストピアでは、やはり人間の行き過ぎた“欲”をコントロールしないといけないと感じる。
現在は、ディストピア小説を読みながら、
未来を俯瞰していくという思考の方が、今を捉え易いのでしょうか?
オーウェルの「動物農場」も寓話として、とてもよく出来ていると思います。
近年、ジョージ・オーウェルが再び浮上してきて、読まれているそうです。
ところが、ヒロクニさんは、フランス文学のモアモアした文章が好きで、ロマン派なので、
こういう本には興味が全くありません。
“愛の物語り”が好きな人です。
映画で、恋人が死んでしまう場面があると、涙を流して、嗚咽して泣くのです。
私は、えっ?と驚くばかり。
さすが、たくさん恋人がいた人は違うなぁ~と、横目で見ています。
ヒロクニさんはそんな私を、「殺伐とした女」と言いう。
「なんとでも言え!」と開き直る私。
ますます、「殺伐とした女」へとループである。
締めくくりとして、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の言葉を置いときます。
■人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない。
有名な言葉だそうです。(ガリア戦記より)
わかりやすく言うと、認知している事柄によって、仮説や信念を検証する時に、それを支持する情報ばかりを集め、
反証する情報を無視、または集めようとしない傾向があって、認知的不愉快感から、
反証する情報も自分のいいようにねじ曲げて、解釈する傾向が人にはあるという事です。
その辺を考慮せよ、ということではないでしょうか?
あれやこれやと憂いのある世の中ですが、可愛いピピちゃんに癒されています。
↑ぴーちゃんに雰囲気が似ている猫柄を見つけて、刺繍をしています。
相変わらず、強引に膝の上に乗って来て、寝るピーちゃん。
膝の上で何度も座りなおして、居心地がいい感じを見つけて寝ます。
いつもゴロゴロと喉を鳴らして機嫌がいいピーちゃん。
私がしている猫の刺繍は、「猫のチャーリーなんだけどね。」とピピちゃんに言うのであった。
本当にくっつき虫さんで、膝の上、抱っこが大好きな猫ちゃんに成長しました。
庭は、菊が咲き始め、やっと華やぎが出てきました。
↑今年購入した菊。
小花がいい感じだったので、購入しました。
↑中心の部分に茶色が入る小菊です。
時々手折って、台所で飾っています。
自生の菊もだんだん花が咲き始めていて、秋は、菊の花を楽しんでいます。
厚みというか膨らみのある質感で、新鮮です。確かにディストピアっぽいです。
全体に使われている赤い色と、そこかしこに描かれたヒトの顔のように見える形が印象的で、長く見ているとちょっと背筋がぞっとするような感じがします。
天井の高い、教会のような宗教的な建物の窓や壁に一面ぐるりとはめ込むと、すごく雰囲気が出そうです。
でも、それだとちょっと怖いかもしれませんね。
ジョージ・オーウェルは『象を撃つ』しか読んだことがなかったです。『1984年』『動物農場』が強烈に読みたくなり、すぐに図書館に予約をしました。
訳が開高健なのですね。大好きな作家です。早く読みたいです。
報道操作について、まったく同感です。
不安をあおり、「誰か」に都合のよい内容だけを誇張して繰り返し報道する。
報道されている内容の裏にある報道されていない事実は何か、この内容を報道している意図は何か、それは誰にとって都合がよいのか。
そんなことを考えながら、報道を聞いています。
ディストピアの作品たち、興味深く読みました。
『すばらしい新世界』久しぶりに読みたくなり、これも図書館に予約しました。
『時計じかけのオレンジ』中学生のときに原作を読みましたが、これは何を言いたくて書いた小説なんだろう?とまったくわかりませんでした。
今読むとまた違う感想なのでしょうね。
ブラッドベリは大好きです。『宇宙船乗組員』が印象深いです。何度も読み返した作品です。
ロマンティックな小説というのは、あまり読んだことがないなあ、と思いました。
フランス文学は確かにモアモアしていますね。
フランス文学、コレットの『雌猫』は読みましたが、これはロマンティックな小説ではないですよね。
お膝にのっているぴーちゃん、さほりんにぎゅーっとしがみついていて、とてもかわいらしいです。
これからの季節、ぴーちゃんがお膝にのっていると温かくてよいですね。でも、ちょっと重いかな?
猫の刺繍は厚みのある刺し方なのですね。
どんな作品に仕立てられるのでしょうか。楽しみです。
色とりどりの菊がきれいです。
小さな菊は寒い風が吹く季節によく似あいます。
ともりんと感覚が似ているところがあるのかなぁ~と、この度思いました。
本の感想を読んでいて思いました。
私の周りでは、「すばらしい新世界」とかを読む女性っていないのですよ。男性が取り上げることはありますが・・・。
レイ・ブラッドベリは、私は短編が多くて、「ウは宇宙のウ」「スは宇宙(スペース)のス」「何かが道をやって来る」等です。
「宇宙船上客員」は読んだことがないけれどお薦めみたいなので、読んでみようかな?久しぶり読むと新鮮な気持ちになれそうです。
コレットは、ヒロクニさんの蔵書にあったので、パラパラと読んだけれど、タイトルを忘れてしまいました。春の庭の描写が、蜂の羽音と共に描写されていて、春になるとその部分だけ思いだします。
情報のことは、何とか騙されない人が多くなっているけれど、まだまだかな?言わないだけで増えているのかもしれませんが・・・。
ロマンティックな小説は、女性は意外と読まなかったりして(笑)現実を生きるのに忙しくて(笑)
まあ、ヒロクニさんは、ロマンティストだと思います。
ピーちゃんは、最近またまた可愛くなってきました。身体をくったりさせてくっつくのが可愛くて可愛くて。「くったりさん」と呼んだりします。
菊は、長持ちする花ですね。
小花はとても好きです。
ともりん、寒くなってきましたが、風邪などお召しになりませんように!